2010年09月30日
無事について
無事=1)変わったことがないこと、平穏なこと
2)無難なこと、失敗がないこと
国語辞典には以上の説明でありますが、
禅の世界では全く逆といっていいほど意味が違うのである。
「無事是れ貴人」これは臨済録にある有名な語である。
意味=無事とは平穏無事のことではなく、
また何もせずブラブラすることでもありません。
無事とは仏や悟り、道の完成を求めない心を言いう。
貴人とは「貴族」の貴ぶべき人すなわち仏であり、
悟りであり安心であり、道の完成である。
私たちの心の奥底には、生まれながらにして仏と寸分違わぬ純粋な人間性、
仏になる資質という仏性があり、襌の修行はそれを発見するものである。
ところが、えてしてそれを外に求めうろうろするのが現実であるというのだ。
至道無難禅師は「迷いてこの身に使われ、悟りてはこの身を使う」と喝破する。
無事でありたければ勇猛果敢でないといけないということだ。
古いことわざにも「楽を追えば楽が逃げる、苦を追えば苦が逃げる」とある。
最後にもうひとつ紹介する。
中国の詩人卒塔婆が仏印禅師に「いかなるか是仏の人」と問うと、
仏印禅師「一個有血性的男児」と答えた。
意味=血の気が多くなって熱くなってこそ仏となる。
こう答えられた。
この仏印禅師の言葉を心酔されたのは、
言うまでもない歴代の首相の指南役の安岡正篤先生だったそうだ。
みなさんは無事を保守的にとらえますか、勇猛果敢に行動しますか?














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