社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2010年10月29日

環境は謙虚な自分がつくる

1)自然を克服し環境を作るのか?
2)自然の法則の中で生かされて環境を作るのか?

一番の生き方は自力本願で主体的に見えるが、実は傲慢な生き方だ。
自然はサムシンググレートという偉大な何者かがつくってるので、
少しは人間が理解できても克服などできない。
二番のように、すべては他力本願で生かされてると考え、
法則を見つけそれにそって環境を作らせてもらうというのが謙虚だ。

生かされてる自分を実現するには、自分を完全に消す虚心がいる。
虚心にて物事を公正に図り決断するのを謙虚という。

だが現実には虚心の自己行動にならない。

主体×利己心=有人〔傲慢〕
主体×利他心=無人〔虚心〕

さて、ドラッカーはルーズベルト大統領がなくなり、
当時副大統領だったトルーマンをこの謙虚な人と称賛する。

彼は大統領という権威に少しも寄りかからず、
理知の力を信じ貫く勇気と意志の人だという。
部下の国務長官のアチソンやマーシャル将軍と連日相談意見を求め虚心を旨としたからだ。

それに反し、ケネディーは傲慢だと評する。
「国家があなたに何をするかを期待するな、国家にあなたは何を出来るか考えよ」

謙虚さとはいたずらにへりくだったり、自分を卑下することでもない。
外から入ってくるのもを虚心に受け止め、丸ごと受け入れる。
その上で一人でできることには着手し、
誰かの助力を得る必要なときは臆することなく救いを求める。
目的がはっきりすると謙虚になれるというのがドラッカーの主張だ。

日本では安岡正篤先生の言葉をひとこと書くことにする。

「環境が人を作るということにとらわれてしまえば、
 人間は単なる物、単なる機械になってしまう。
 人間は環境を作るからして、
 そこに人間の人間たる所以がある、自由がある。
 即ち主体性。創造性がある。
 だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。
 人間ができないと環境に支配される。」

人間は環境をよりよく変え、作っていく動物である。
逆に人間ができないと不平不満と愚痴を言うだけの動物にもなる。
虚心になれず、傲慢で愚痴っぽい自分がいることだけは確かだ。
反省あるのみ!!

みなさんは自分の周りの環境を如何に作られますか?

2010年10月23日

働くことの必要充分条件〔夢と志〕

今日午後一時から会社説明会があり、40名ほどの学生が集まった。
いつもだが、「一期一会」だから、
役立つことを話したいと願ってその場の雰囲気を感じ話題にする。

今日は「働く」ということをどう考えてるか、二、三の人に聞いた。
みんな結婚して生活し、車買って、家買って子供を育てるために働くという。

間違いではないが、これでは必要充分条件の半分は正解だが、
もう半分がほしい。

自分の人生での生活基盤や生活内容を作る「夢」はすばらしいが、
その土台である社会をどう良くしていくのかという「志」がほしい。

そこで働くもうひとつの意味は、
自分から 1〕パッション〔情熱〕
        2〕ミッション〔使命〕
        3〕アクション〔行動〕
この三つをもって、世の中に役立つ働きをする「志」を持つことが必要で、
わが社のミッションは「幸福創造」することだと理念を語った。

それには仕事を、「好きなことをするのでなく、
しなくてはならないことを好きになる」覚悟と決心をもって情熱を燃やし、
「志」を高く使命感に燃え、誰にも負けない努力をして行動することだと断言し、
それでこそ、働く必要充分条件を満たすと熱弁を振るった。

反応はきっとしらけるだろうと思っていたが、
若者の心の奥の真剣さと情熱に火をつけた。
かなりの緊張感の中で、手を上げて質問する人がいた。
それも、業界のポジションや戦略、自社の強みと弱みについての問いだ。

実に頼もしく思ったと同時に、
われわれ大人が真剣に関わることの大事さを再確認した次第だ。

みなさんはミッション如何伝えてますか?

2010年10月22日

正直と誠実・スティーヴン・R・コヴィー

スティーヴン・R・コヴィーは言う。

「正直」とは真実を語ることである。
つまり、言葉を現実に合わすことである。

「誠実」とは現実を言葉に合わせることである。
つまり、約束を守り、期待に応えることなのだ。

自ら学び法則をインプットするのは「正直」でなければならないが、
ビジネスのようにお客さんと実現していくアウトプットする場合は、
「誠実」であることが求められる。

正直では対立を招きかねない、それはすべての人は真実を語ってるが、
言葉と現実が不易の法則だと検証されたものを語ってないからだ。

現実は1)すべて物事は連関してる。
      2)変化していて、
      3)動いてる。
実験室のように現実は単体では存在し得ない。
これを仏教では「縁」といい、この縁を生かし自由自在を得ることを修行す。

臨済禅師は事実の見方には四つあり、
つまるところは自在さを忘れねことだと以下のように解く。

   「臨済の四料簡」

1)鐘がなるか撞木がなるか
 鐘はならない撞木がなる(奪境不奪人)
2)鐘がなるか撞木がなるか
 撞木ならない鐘がなる。(奪人不奪境)
3)鐘がなるか撞木がなるか
 鐘と撞木の間でなる。 (人境両倶奪)
4)鐘がなるか撞木がなるか
 鐘と撞木で音がする。 (人境不倶奪) 

臨済は撞木を人として主観とみ、鐘を置かれた境として客観とみ、
主観も客観も両方とも認めて、自由でこだわらない心境を持つことを教えた。
主客一如であるが、これにも一瞬たりとも固定しない自由さを持てという。
深いですね。

皆さんは如何考えられますか?


2010年10月19日

平和は努力によって創られる。

カントは「永遠の平和のために」のなかに書いてる言葉が実に腑に落ちる。

1)「戦争状態とは武力によって正義を主張することだ」
2)「一緒に生活する人間の間の平和は、なんら自然状態ではない。
   自然状態は、むしろ戦争状態である------
   それゆえ平和状態は創設されなければならない。」

カントという人は時計のような人だったらしい。
毎日同じ道を同じ時間に散歩し、
彼を見かけた人は時計の時間を合わせたそうだ。

生きることは生活することであり、寝て食べて身を守る家に住む。
これを確保するには狩猟生活なら狩をし、
農耕生活なら田を耕し、畑で野菜を育てるのが日常の行動だ。

現代は地球上の大半が市場経済を基本に自由に売買し、
競い合ってすばらしい商品やサービスを提供する社会になってる。
それも分業が発達し、生活の糧を得るには
何かの役に立つ能力と人間力(スキルとコミュニケーション力)を提供し賃金を受け取る。

カントの言葉で印象的なのは「自然状態は、むしろ戦争状態だ」という言葉だ。
動植物はよく弱肉強食の過酷な世界といわれるが、
まさに生きることは誰にも負けない努力を必要とする(野性的)。

最低賃金が決まり、生活保護がある社会をつくり、
持てる人が、持てない人を助ける仕組みを作って来たのは、
人間同士が対立関係でなく相互に補い合う相補関係としての福祉社会の実現のはずだ。

その努力が見えなくなって、「あたりまえ」の権利かのように、
努力しないでずる賢く甘える人もいることは確かだ。

平和は法律を守り、信号機を守り、仲間との約束を守り、
税金をごまかさない多くの善良な市民がいるから成り立つ。

善良な市民は勤勉で、自ら勉強し向上心があり、
社会をより良くしようと創造して、事前に戦争をしないようにする人たちだ。
平和のために自分の利己心を二番にできる人だ。

目に見えないが、こんな人たちがたくさんいるからこそ現代の平和は持続されてる。

皆さんは如何考えられますか?

2010年10月16日

一流に思うこと

スポーツが地域の振興にあるというのが欧米の概念だ。
だから、地元の名前がついている。
ニューヨークヤンキース、シアトルマリナーズだ。
日本では北海道を拠点に地域と密着した日本ハムファイターズだ。
おなじみの新庄のパフォーマンスで話題をよび、
スポーツファン層が女性に広がった。

世界でスポーツが教育が所管してるのは日本と,キューバ、中国と北朝鮮だ。
ローマ時代から競技場(スポーツ)が真ん中におき、
オペラハウス(音楽)、に教会(共有する価値)、
という文化の核が都市の中心となってきたのが欧米だ。

さてイチローの練習の真剣さは食事の規則正しさなどでご存知だろう。
一流のイチローの言葉「日常を大切にするから、非日常がある」

一流といえば北島康介も世界新を出した。
一流の北島の言葉「有言実行では世界を舞台に勝てない、有言即行でないと」

日本ではサッカーのプロ化は無理だといわれていた。
川淵三郎さんが準備委員会での議論に、
「時期尚早、前例がない」という反対意見が出た時、
一流の川淵さんの言葉「時期尚早といっていたら100年たってもできない、
やる気のない人のいいわけや、また、前例がないといってたら200年たってもできない、
私にはアイデアがないといういいわけや」と言い放ち、
「仕事とはできるように考えることや」となって、プロサッカーが誕生した。
1998年のサッカープロ化の準備委員会での度胸と覚悟の一幕だった。

亡くなられた大木監督が残された言葉も実に一流だ。
野茂、イチローをメジャーに出した監督である。
野茂のトルネード打法は盗塁されると他の監督は否定した、
また、二軍にいても自分の振り子打法変えなかったイチローを肯定したのも大木監督だ。

審判のミスで、レフトのポール際でホームランかファールかで、
試合を左右することになるので監督は選手の手前もあってカンカンに抗議する。

過去には一時間半抗議してついに負け試合になった監督もいる。
一流の大木監督の言葉、「野球界にはつまるところお客さんに迷惑かけて貫きとうす正義はない」と、抗議は10分で終えたそうだ。

1)スポーツが観客のためであること。
2)観客が足を運んでこられて成り立つという市場原理を理解されていたのだ。

一流は自分は誰のために仕事し、誰を喜ばすか!
そのために全体をどう企画し、技術をどう高めるかを深く考えて行動する。

三流にならないためには三つの条件がいる。
1)パッション(情熱)
2)ミッション(使命感をむつ、志を高く)
3)アクション(行動力)
まずは強く一流になりたいと思はないと始まらないことだけは確かだ。

皆さんは如何考えられますか?

2010年10月15日

チリの落盤事故におもう。

連日33人の救出劇をテレビ中継で見ていて、
冷静な救出対応や地下700メートルから、
会話しながら10数分のカプセルの中の孤独を癒す対話、
救出され家族と感動的な対面などを見ていて、
いまさらながらに人間が協力するとすばらしいと、
胸がつまる感動を覚えた。

8月5日に落盤事故にあった瞬間はパニックになり、
みんなの気持ちが乱れたそうだ。

その後外部から連絡が取れるのには17日間かかった。
その間地下700メートルでは33人が希望を持って考えるようになり、
元牧師の人は「祈り」はじめ、看護士の人は看護に当たるというように、
みんなの中で役割分担ができたそうだ。

恐怖と不安でストレスが最高潮に達したことは察するにあまりあるが、
その中で秩序が生まれたのだそうだ。
人間の奥の奥にある「良心」が絶体絶命の時に現われる証拠だ。

今私達は明日食べられない恐怖はない。
しかし、じわりじわり押し来る不安は感じてる。
人口減少による経済的な不況や、社会福祉の年金の元本問題だ。

この解決は利己心で発想する方法では解決しない。
それは醜い奪い合いが起るだけだ。

各人が絶体絶命だと仮設をたて、「足るを知る」「分を知る」といった、
利他心に基づく価値観の発想で、シェアしあったり、助け合うことだ。

地上に上がる脱出の順番をみんなは譲り合ったと聞く、
この精神が今日本には必要なように考えるのは私だけだろうか?

今回の事故の経過は、
今後の国際関係や日本の国家運営に警告する利他心の価値観を教えてくれたように思う。

今日の新聞に西宮でなくなった97歳だったか、
女性の方が兄から遺産相続した約13億のお金を西宮市役所に寄付した。
「西宮市に役立つように使ってください」と遺言に書いてあったそうだ。
利他心発想の行動に感動した。

皆さんは如何考えられますか?

2010年10月12日

自分のブス度計ってみませんか?

不幸になりたいと生きる人はいない。
幸せになるには「こうしなさい、ああしなさい」と、
押し付けの説教は聞きたくないし、
自分の行動や態度は変えたくない。
逆に自分のブス度を計って、自分を知るのもいいかもしれない。

宝塚歌劇団では面白いチェックリストがある。
「ブスの二十五箇条」だ。

1)笑顔がない
2)お礼を言わない
3)美味しいと言わない
4)目が輝いてない
5)精気がない
6)いつも口がへの字の形をしてる
7)自信がない
8)希望や信念がない
9)自分がブスであることを知らない
10)声が小さくいじけてる
11)自分が最も正しいと信じ込んでる
12)愚痴をこぼす
13)他人をうらやむ
14)責任転嫁がうまい
15)いつも周囲が悪いと思ってる
16)他人に嫉妬する
17)他人に尽くさない
18)他人を信じない
19)謙虚さがなく傲慢である
20)人のアドバイスや忠告を受け入れない
21)なんでもないことに傷つく
22)悲観的にもの事を考える
23)問題意識を持ってない
24)存在自体が周りを暗くする
25)人生においても仕事においても意欲がない

上記の人は友達になりたくない人ですね。
友達のできない人は友達を必要としない人か?自分を知らなかった人だ。

御釈迦さんは人生において「友」がすべてだと断言される。
それが豊かで幸福な人生を送る必要充分条件だからだ。

ジェームス・バリーは、
「幸福の秘訣は好きなことをするのでなく、
 しなくてはならないことを好きになることだ。」

さて、あなたのブス度は何点でしょうか?
ちなみに私は主観的な自己採点だがブス度は25分の3だ。
私は幸福になること間違いなしと思い込んでる。
自己肯定過ぎる単純なバカなのかもしれないが!!

みなさんのブス度いかがでしょうか?

2010年10月08日

死と生について

死んだらどこへ行くのだろう。
「極楽」だ。
では、今は地獄ということになるが、
生きることが地獄であったら、
楽しいことはない。

どうして、このように二つの世界をつくって考えるようになったか解らない。
仏教ではこれを「分別知」という。
生きるも死ぬもほんとは裏表で一体だと諭すのが襌宗だ。

襌宗では「極楽」という浄土の世界がない、死んだらそれでおしまいだ。

2500年前のインドでは科学が充分発達していないかった。
そこで、「地、水、火、風」という4元素が縁あって身体になったと考えた。
作用の方からは「堅、湿、暖、動」(ケン、ジュウ、ナン、ドウ)とよみ、
堅いもの、湿ったもの、暖かいもの、動くものでできてると考えたのである。
死とは「四大分離」あっさりしてる。

だから徹底してる、過去にこだわるな、未来を思い悩むな「即今・当処・自己」といって、
今・ここ・自己に真剣に集中しろ、未来もできる、過去も生きるというのだ。

くよくよ考えるな「渇!!(カッツ)」だ。
理性だの合理だのと、頭という道具に振り回されるな「渇!!」。
禅宗では莫妄想といって、
過去や、未来へ頭を動かして妄想するなかれと厳しく今からブレルことを断じる。

無心になれと諭す。
無心とは何も思わないことではない、楽しいことがあれば笑い、
悲しいことがあれば泣く。
心を固定せずコロコロと自由に動かすことだ。
ただし、未練たらしく喜びや悲しみに執着し振り回されたら元も子もなくすという。

生じたものは必ず滅ぶのが道理、
生まれたら死ぬ。
60年生きたということは、60年かかって死んできたのだ。
死と生について考えてみたが、ただこれだけだ。

良寛さんは面白い言葉を残しておられる。
「災難に逢う時節は、災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬるが候、
 是は災難をのがるる妙法にて候」
今をもっと喜怒哀楽の中で楽しみたいものだ。

皆さんは如何考えられますか?

2010年10月07日

うそ気の自分と本気の自分

人間は自分のことが一番解らない、
意識してる自分が自分だろうか?
もともと無意識に持ってる自分があるはずだ。

こんなことを己事究明するのが襌であると西村恵心先生はおっしゃる。
さて、自分探しが一生であるが、
少なくとも肉体を維持し自分の精神を成長させるには生活をしなければならない。
そのために働くのである。

仕事と働くの違いをドラッカーは「仕事=成果を出す、働く=喜びを作る」というそうだ。
私はハイブリッドでどちらもいると考える。

天才=努力家と言われるが、イチローなどの生活の禁欲ぶりは実に努力の人に思う。
私は天才ではないが努力は自分を裏切らないと信じてるが、成果を見ると努力が足らない。

そこで自分を分析すると二つの自分がいる。
「うそ気の自分と本気の自分」だ。キーワードを書いてみる。

うそ気の自分=依存心が強い 本気の自分=何でか考え抜く
依存心が強い
なんでも抵抗する
いい訳が多い
分析ばかり
衝動的行動
利己心
我慢する振りをする
自己否定してる(自分が嫌い)
受身の人生観
消極的で待つ
被害者意識がある
判断=評論家
行動する
目標を持つ
具体的になるまであきらめない
凡事徹底する
利他心
忍耐する(忍辱)
着飾らない生に自分を出す
現状認識する(冷静)
主体的に取り組む
積極的で行動する
責任者の自覚がある
決断=行動家(事実から逃げない)

作業は知識でできる、また繰り返しやるから早くなる。
情報化社会では知識は誰でも手に入り価値がなく、
知識を加工する想像力(イマジネーション)創造力(クリエイション)が加わって智慧となり価値がでる。

それは他人を喜ばす働く事で、自分の体験×知識=智慧(自分で考える創造力)でないとできない。
「智慧」とは想像力、創造力、企画力、構想力という付加価値生むものだ。

成長=気付くことだ。
上記に書いたことは、誰でも気付くが、
「本気の自分になりたい」と思わないと行動がはじまらないのでダメだ。

気付きの最終は生きることに独立自尊の精神と感謝の精神(利他の心)を創ることだ。
そのために人生には時間(歴史)があり、
自分にとっての都合のいい体験と逆に都合の悪い体験を天は与えてるのだ。

もし、早く「本気の自分」になりたければ、
自分の起こってくる事態から逃げないことが一番早道だ。
逆に孤独で体験せず振りだけして実際行動しない「うその自分」でよければ、それも人生だ。

私は、こんなことを葛藤しながら勇気を振り絞って「本気の自分」めざす今日この頃である。

皆さんは如何行動されていますか?

2010年10月05日

「生存率」は話し合い

アメリカは本当の面白い実験をする国だ。
というのも、NASA航空宇宙局のサバイバル研究で、
砂漠や、ジャングルで遭難した時に、
どうすることが生存率を上げるか真面目に研究し答えを出した。

この答えが笑えるほど常識的だから面白いのだ。

生存率を上げる最重要なキーワード=「話し合う」と証明された。

極限状態に人間が置かれたら、
我先にと利己心(エゴ)剥き出しになると思われるのが一般的だが、
実は違って、人間は「話し合い」、心を通じ合い、
助け合い衆知を集める行動を取り、
現状を乗り越えようとすることが重要だと気づくそうだ。

笑えるといったら失礼だが、人間は極限になると純粋な良心が出てくるようだ。

さて、現代はどうかというと、全く逆の価値観が支配的なように察する。
世界中がグローバル化し情報化社会が発展すればするほど、人間と直接話しをしなくなり、
個人個人がこころとこころを通じ合う感性のある人間が育たないと感じるのは私だけだろうか?

物質的豊かさは他人を頼りにしなくても生きれる生活環境を作れるのも事実だ。
そのことが、共通の土俵である社会に適応していけない人間を生み出す結果になってないか!

人間は人との関係の中で「人」が「人間」になることはまちがいない。
経済発展の裏側で、人間らしい話し合いや助けあい、
協力して良くしようと言う根本の「意欲や気持ち」が後退してる証明のNASAの実験だと思う。

みなさんは如何考えられてますか?

2010年10月02日

欲望は生きるエネルギー、理想は生きるエネルギーの方向

若きころの私は自意識が強く、他人が話してるのも自分のことだと過敏に反応していた。
精神的には疲れるのであるが、息の抜き方が解らない未熟さだった。

こんな性質は人間関係をつくろうとすると生真面目すぎて疲れてしまうのである。
だから、兄貴がやっていた落語や浪曲が好きで、
小学校のころから座布団引いて噺家のように演じていた。

実は大人になって行く過程でみなさんにもこんな時期があり、
これに対する対応のやり方を先輩や大人を見て、
見よう見まねに自分流をつくったというのが本音ではなかろうか。

さて大人への次の関門は自分の欲望だ。
これはどうしようもなく、身体から湧き上がって来てコントロ-ルが難しい。
いいものが食べたい、いい物が着たいも金がほしいなど具体的で物欲的な欲望が出てくる。

しかし、自分の欲望をむき出しに表現し、
わがままに生きることは社会のル-ルでは許されない。
何か社会に役立つことをしないと自分の利己心は満たせないのが掟だ。

ところが、自分に何かの役に立つ能力があるかというと、
まだまだ未熟で大人とは太刀打ちできる能力は持ち合わせない。

亀井勝一郎によると「青春とは性急」だという。
要するに実力もないのに結果をせっかちに求める時期を言ってる。

先日雑誌に「理想とは今を生きるエネルギ-だ」という言葉があった。
まさにそうだと共感した。

自分を奮い立たせるには利己的欲望丸出しでは社会の共同生活での協調性が欠ける。
だからこそ理想がいるのである。

自分が理想的なピアニストになって、すべての人を感動させるのも良いだろう。
また政治家としてみんなの幸せな国家運営をするのもいいだろう。
理想や、志は自分を奮い立たせ方向を明確にしてくれる。

理想実現に体当たりすれば、自分にとって都合のいいこと悪いことが現われるのが事実だ。
これを避けては、理想は実現せず智慧も直観力でない。

最近の草食系男子は剥き出しの利己心や闘争心を出すことをしないで虚無的で、
自分の人生なのに必死にならないのがかっこいいと考えてるのだろう。
それは、女性の社会進出と相関関係があり、男性社会のスポ-ツクラブのようなル-ルから
男女社会の上品なル-ルに変化してるからだ。
一般的にたくましい男性より、優しい男性が好まれる背景があるからだと察する。

だからこそ、野性味のあり、聡明な本物が望まれる。
それには、真剣に現実に向き合って、
問題を乗り越えた数と時間が深みのある大人の性格をつくってくれる。
誰もが求める「優しくて包容力のあるたくましい性格」だ。

この性格は求めるものでなく、
自分が体験の中から作り出すから個性となる。
世の中は環境や体験が違うから、いろんな個性があって面白いのである。

欲望をエネルギ-として理想や、志に燃えてる自分が未熟な若い奴であることはまちがいない。
「一生不悟」「一生感動」は相田みつをさんの言葉にあって私に似合う言葉だと思ってる。

格闘家で旅行好きな文章家でもある須藤元気さんは、
「悟りの必要としないときが悟り」だとサラット語る。

いつも心を込め、真剣に対話したいと思ってるが、
少々熱が入り感情移入しすぎて利己的な怒と感じられてしまう。

元気さんの言葉に「ユ-モア-は怒りのファブリ-ズ」というのがある。
私にとっては心しなければいけない言葉だと反省だ。

みなさんはエネルギ-の方向如何行動されてますか?