社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

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2018年02月22日

呼吸の間なり

このタイトルは禅語にある。
呼吸は内にある空気を吐き出す方向と、
全く逆の外から空気を吸って酸素を取り込む事で成り立つ。
これを「矛盾」と受け取るのがありのままであろう。

言い換えると善悪、正邪、損得、好き嫌いと、
真逆のものが渾然としている状態(頭で相対化してるに過ぎない)が健全と考えるべきだ。
人間が勝手に二つに分けてるに過ぎない、事実は一つだ。

理性、感性と別物のようにしてるが呼吸のようにひとつのものだ。
呼吸と同じで方向が逆だから性質は違う。
理性は合理を好み排除の性質がある。
感性は情を好み融合の性質がある。

ラッセルは幸福論で情熱が大事で、愛情が必須条件だというが、
幸福な状態には四つの条件の枠がいるという。
1.健康
2.人並みの能力
3.必需品がかえるだけの収入
4.妻子への義務といった社会的義務

特に親子の愛情についてラッセルは調和(中庸)が理想的だと言ってる。(仏教では中道)
「子供に対する気遣いも、一定の限度を越えれば、所有欲のカムフラージュになる」

すべてにおいて「呼吸の間」を心得た生活態度がいるとラッセルも言ってる。
だが、これを習慣にするには自分の行動をくせづける努力がいる。

先日ある学習会で50代のご婦人が言っておられた言葉が気になるので紹介する。
「子供に弁当を作って、残してきたら、体の具合が悪いのか気になるが、
夫が食事を用意して残したら、感謝が足らない人だと腹が立つんですよ。」

もう一つは、娘が自家用車をこすって傷つけて、主人に電話したら、
「身体に怪我はなかったのか、車は修理すれば良いよ」と即答されたとき、
家の財政を預かってる娘は「修理代かかるから、明日から節約しないと」といった。

どちらも解らないでない!
目の前の人が先か?
自分の立場が先か?
考えさせられた。

ラッセルは努力は必要だがあきらめも必要だと言ってる。
諦めには二つあって、
1.「絶望」に根ざす諦め
2.「不屈の希望」根ざす諦め
勿論、後者の諦めがよいのである。

締めくくりに不幸はある種の分裂、統合の欠如が起因するので、
意識、無意識の調整や自我と社会が客観的な愛情によって統合されている人が幸福な人と言ってる。

彼は97歳で世を去るが、晩年は核廃絶を訴え、平和活動をする。
でもドーラ、パトリシア、エディスと三回も結婚を繰り返しているのも事実だ。
呼吸が合わなくなったのかな!

皆さんの幸福論はいかがなものでしょうか?