社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

フィード

RSS 1.0

2018年03月07日

吉田松陰に思う

太平記の楠木正成(くすのきまさしげ)後醍醐天皇を奉じ、鎌倉幕府を打倒し、
建武の新政の立役者で、足利尊氏とともに天皇を助けた人物だ。
松蔭は楠木正成が朝廷のため国賊の倒幕のため弟正季(まさすえ)に、
「願わくば七たび人間に生まれて、以って国賊を滅ぼさん」という言葉に、
自分を重ねて、安政三年四月十五日(1856年)に松蔭は以下の詩を書く。

「天の茫々たる、一理ありて存し、父子祖尊の綿々たる。
人の生まるるや、斯の理を資(と)りて以って心と為し、
斯の気を稟(う)けて以って体となす為す。
体は私なり、心は公なり。
私を役して公に殉(したが)ふを大人となし、
公を役して私に殉ふ者は小人と為す。
故に小人は体滅し気竭(つく)る時は、
則ち腐爛潰敗(ふらんかいはい)して復、収むべからず。」

意味=果てしなく広がる大宇宙の一つの理(陰陽を働かせる力)によって、
このように存在する。父子祖孫は一つの気(宇宙万物を生成する霊気)によって、
絶えることなく続いている。宗の儒学者、程伊川、朱熹などが唱えた説で、
宇宙は理と気とから成ると考え、万物陰陽の交錯によって生じ、
陰陽は気であり、陰陽を働かせ作用するのが理である。

宇宙の理は(陰陽を働かせている力)をもとにして心を作り、
宇宙万物を形成している霊気を基に体をつくる。
体は特定のものであり、心は普遍的なものである。

立派な人は公に従い私心がないが、
つまらぬ人は公に従ってるように演じるが私に従ってる。
だから、つまらぬものは体が滅び気がなえるときは敗れ亡びてしまって、
元に修復できない。

この一途なまでの気合は27歳という若さに違いない。
彼を始め維新の志士たちは、
忠君の誉れという南宋の文天祥(1236から1283年)の「正気の歌」を胸におさめ勇気を振り絞った。
47歳で元の捕虜となり処刑される。

フビライハンは優秀な人物だったので勧誘は何度か試みたが、
心は変わらなかった。
フビライは「真の男子」と褒め称えた。

「正気の歌」(文天祥)
「天地に正気あり、雑然として流形を賦く、
下りて則ち河嶽となり、上りて則ち日星と為る。
是の気の----------------------------------」

意味=宇宙には森羅万象の根本たる気があり、
本来その場に応じてさまざまな形をとる。
それは地に下がっては大河や高山となり、
天に上っては太陽や星になる。

安政の大獄で松蔭は30歳の若さで処刑されるのである。
この気概が、七生に伝わり現代に生きてるでしょうか?

皆さんは松蔭を始め明治を創った志士たち、如何おもいますか?