社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

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2018年03月20日

「人間の解放」について思う。

マルクスが何のために資本論を書いたか?
それは人間の解放だという。
人間を何から解放するといえば肉体と精神だ。

そこで、生活の基本となる経済的な活動を分析し、
生活の糧を充分得る資本主義経済を根本から考え、
みんなが平等に、働きに応じて分配を受ける経済的な仕組みがいると考えた。
高度に発展した資本主義から、社会主義をへて共産主義へと理想を語った。
実に素晴しい功績だ。

彼は欧米のキリスト教はある意味で腐敗していたので「宗教はアヘン」と言って、
現実から眼をそむけさすものと考え否定的だった。
現代の要望される哲学は唯物論と唯心論のような対立でなく、
融合する哲学観に違いない。

野口体操で知られている野口先生は身体を解放するのは緊張でなく、
弛めるという事だと主張される。
だらしなく力が抜ける状態を言うのではありません。
イチローの打席に立ったときの柔らかいリラックスした状態で、
ボールを一点に見つめ集中する姿勢のことだ。

人間は元来嫌いなものには避けたいと緊張感が高まる。
逆に好きなものには力を弛める。

野口先生は唯物論でも唯心論でもなく、唯情報論、唯関係論、唯こと論となずけて、
「解放」とは対立する概念が融合統一される状態を作ることだと考えられ、
体操を考えられた。
「流動と静止、開放と集中、変化と統一、自由奔放と規律秩序」というように、
この矛盾したものが融合されている状態が人間の解放だとおっしゃられる。

この生の世界を実現するには、20世紀の哲学観を根本的に考え直さねばならない。
アダムスミスも「資本主義に倫理観がなければ暴走する」と言ってるし、
倫理観や道徳観というと、ある人は自由な精神が束縛されるように感じるだろう。

そうでなく、野口先生の見方は対立物が相互に浸透しあい融合する状態を言うのである。
自らの身体をリラックスして集中するじ状態にすることが、
一番人間の身体を効率よく使え、大自然のエネルギーをいっぱい使える具体的指摘だ。

しかし、理性的意識にかたよった現代人にとっては難しい事かもしれない。
なぜ京セラの稲盛和夫さんが「心を高め経営を伸ばそう」とフィロソフィーを、
多くの経営者が学ぼうとするのか?

稲盛さんは「人生運命を変えていくのは心次第、
心に思いを描き、実行に移したことにしたがって、
人生は良くも悪くもなる」とおっしゃられる。

渋沢栄一さんは「論語と算盤」のなかで、倫理観とか道徳というのでなく、
人間のあるべき姿の知情意のバランスを尊ばれている。
「強固な意志があれば、人は生きていくうえで最高の強みになります。
強固な意志の上に聡明な智慧が加味され、情愛がこれを調節する。
これら三つがちょうどよく調合し、大きく発展させていく」

人間がどうあるべきか自ら知情意の三方良しを創り出すことで正解はないのである。

皆さんは融合の哲学如何思われますか?

2018年03月19日

「働き方改革」に思う

人間は前進することを好む。
「どうすれば良いか」と外の出来事や人に対応する事を考える。
当然、現実が上手く行ってなく後退するのは嫌う。

働くために、私たちは生産性をあげる、時短を進める、
他と競争しない最高の品質をあげて、価格競争しないで適正な利益を守る。
これは自分がどう行動するか考える主体的な発想だ。(眼に見える基準)

全く逆の発想(眼に見えない基準)をすると、
受身な主体となって消極的なイメージになるが、
いま、お客さんに対し、仲間に対し世の中の変化に対し「どうあるべきか」と、
自分がどんな学びをして、どんな方法でお客さんや、仲間や、
世間の要望に答えれる行動をすべきかという主体も考えられる。

二宮尊徳は「遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」と言っている。

事業経営は一年の損益計算が合うことをするのか?
継続することが一番なのか?
働くものの生活の基盤であるから継続する事が重要と考えるべきではなかろうか?

また、二宮尊徳の言葉を引用すれば、
「人、生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。
学んで道を知らざれば、学ばざると同じ。
知って行うことあたわざれば、知らざると同じ。
故に、人たるもの、必ず学ばざるべからず。 
学をなすもの、必ず道を知らざるべからず。
道を知るもの、必ず行わざるべからず。」
というのである。

資本主義が拡大再生産をしないと継続できない。
マルクスはこれは資本家が労働者の生み出した剰余価値を搾取して作ったものだから、
資本家と労働者は戦って奪い合いするのだというのである。(1917年第一インターができる)

共産主義社会へのイデオロギーが確立し実行される。
マルクスが唯物弁証法で解き明かした1850年代の資本主義のあり方はそうであったかもしれないが、現代のように、これだけ社会の分業が進んみこんなイデオロギーでは、推し量れない時代になっている。

トランプ大統領の鉄鋼とアルミの関税引き上げは自由貿易でなく、
保護主義が台頭して経済的な戦争が起こっているのも現実で、
中国は自由で開放的にしろと要求してる。

日本人の拡大再生産の智慧は違う。
意図的に拡大再生産を作ってM&Aをして買収したり、
株価、為替などの金融が意図的に利益を生み出すような拡大ではない方法をやってきた。

それは実に人間的な方法だ「恩返し」の論理だ。
社会を良くするには、経済的に拡大する事と同時に倫理観も醸成する方法だ。
具体的にある人会社にお世話に10なれば、恩返しで11の返し行動すれば良いという方法だ。

江戸時代は丁稚10年手代10年と勤めたら、のれん分け制度があって、
お店の旦那は店を持たせて独立させてくれる。

今までは安月給で働いたから、お店の旦那は恩返しに店を持たしのれん分けしてくれる。
これが丁稚奉公という人財育成法と同時に経済が拡大していく論理だ。
20年サイクルでどんどん店が増えるから自由に競争し品質やサービスが向上するというわけだ。

働き方改革の意味は決して時間で上限を強いたり、
最低賃金を設定する事で改革になるのでなく、
根本の拡大再生産が資本の論理で人間を無視したやり方で、
売り上げをあげて拡大し人間を資本がす害するのでなく、
拡大と同時に自由競争し、製品の品質と同時に倫理観も育つ人財育成がされるのである。

成長の速度は少しづつでも良いから、日本流の拡大再生産がある。
また、近江商人は稼いだお金を神社やお寺に寄進して「お助け普請」と言って、
職人を育てたり、品質の良いものを作るために奉仕した。
普請とは見積書なしで、大工の請求どおり払うのが慣わしであったから、
職人は腕自慢の品質競争した。

年功序列賃金も年配になっても勘と経験を教えてくれということで、
年配者を敬うし賃金高くもらえるのであった。

ほんとの意味で根本的に仕事の本質を究めた「働きから改革」が求められている。
皆さんは「働き方改革」時間で縛られたいでしょうか?

2018年03月09日

トランプ大統領は保護貿易なのか

ドラッカーのいう経営の要諦は、
1.顧客創造
2.イノベーション
だと断言する。

具体的にどうするかというと、
暮らしや仕事に役立つ商品やサービスや仕組みのイノベーション(技術革新)を行うことだ。
だから事業は社会のためでなければならない。
自己利益のためではないが、運営するには利益がなければならない矛盾がある。

創業100周年を迎える松下幸之助のパナソニックの会社の定義は「社会の公器であれ」だ。
民主主義と市場経済を推進する自由主義経済は「アメリカンファースト」を掲げるトランプに、
世界中が振り回されているように見えるが本質はどうなのかを見極めるときだ。

アメリカが自国の産業を守るために関税をかける鉄鋼が25%、アルミニュームが10%だ。
世界で一番鉄鋼を生産してる中国は一国二制度で、
政治は共産主義、経済は自由主義を標榜し実験中だ。

中国が自由を声高に言って、自由主義のアメリカが保護貿易で自国産業守る。
しかし、視点を変えたら中国や他国の経済力から比べ、
現在の各国の経済力が対等な競争関係が維持されず壊れ、
バランスが取れてないという見方もできる。

新聞紙上で根底にあるのはマルクスの唯物論的に相対化した軸で議論されている事に違和感を感じる。
強者と弱者、あるいは経営者と労働者、与党と野党といった戦いで、
与党も野党も国民という数も形もはっきりしない代表として、
格差を無くす弱者を保護といった美名の下で大衆迎合型の意見が正義になっているように
思う。

現実には技術革新の保護や制度という具体性も大事だが、
本質的な自由社会の基本精神を言ったのはアダムスミスだ。

人間には「公平な観察者」という自己の利害を離れて客観的に物事を見つめ、
人の立場を理解できる面がある。

一般には「見えざる手」これは神でもなければ仏でもない、
自分の中にある良心のことだ。

この良識や良心を一人ひとりが伸ばして社会全体が対等な競争ができる社会こそ、
自由で民主的な社会ができる。

私たちの目的は幸福で平和な社会を創りたいのであり、
それには手段として具体的なルールは必要だが、
現実は手段を細かくして具体的に作りすぎ、
人間の自由を自ら奪って、苦しめ生きにくい社会をつくっていないだろうか?

トランプが間違った変人と決め付ける前に、
私たちの目的である幸福、平和の手段が目的化していないか、
一人ひとりがチェックすることが必要な時だ。

皆さんは自分の中に「公平な観察者」創っていますか?

2018年03月07日

吉田松陰に思う

太平記の楠木正成(くすのきまさしげ)後醍醐天皇を奉じ、鎌倉幕府を打倒し、
建武の新政の立役者で、足利尊氏とともに天皇を助けた人物だ。
松蔭は楠木正成が朝廷のため国賊の倒幕のため弟正季(まさすえ)に、
「願わくば七たび人間に生まれて、以って国賊を滅ぼさん」という言葉に、
自分を重ねて、安政三年四月十五日(1856年)に松蔭は以下の詩を書く。

「天の茫々たる、一理ありて存し、父子祖尊の綿々たる。
人の生まるるや、斯の理を資(と)りて以って心と為し、
斯の気を稟(う)けて以って体となす為す。
体は私なり、心は公なり。
私を役して公に殉(したが)ふを大人となし、
公を役して私に殉ふ者は小人と為す。
故に小人は体滅し気竭(つく)る時は、
則ち腐爛潰敗(ふらんかいはい)して復、収むべからず。」

意味=果てしなく広がる大宇宙の一つの理(陰陽を働かせる力)によって、
このように存在する。父子祖孫は一つの気(宇宙万物を生成する霊気)によって、
絶えることなく続いている。宗の儒学者、程伊川、朱熹などが唱えた説で、
宇宙は理と気とから成ると考え、万物陰陽の交錯によって生じ、
陰陽は気であり、陰陽を働かせ作用するのが理である。

宇宙の理は(陰陽を働かせている力)をもとにして心を作り、
宇宙万物を形成している霊気を基に体をつくる。
体は特定のものであり、心は普遍的なものである。

立派な人は公に従い私心がないが、
つまらぬ人は公に従ってるように演じるが私に従ってる。
だから、つまらぬものは体が滅び気がなえるときは敗れ亡びてしまって、
元に修復できない。

この一途なまでの気合は27歳という若さに違いない。
彼を始め維新の志士たちは、
忠君の誉れという南宋の文天祥(1236から1283年)の「正気の歌」を胸におさめ勇気を振り絞った。
47歳で元の捕虜となり処刑される。

フビライハンは優秀な人物だったので勧誘は何度か試みたが、
心は変わらなかった。
フビライは「真の男子」と褒め称えた。

「正気の歌」(文天祥)
「天地に正気あり、雑然として流形を賦く、
下りて則ち河嶽となり、上りて則ち日星と為る。
是の気の----------------------------------」

意味=宇宙には森羅万象の根本たる気があり、
本来その場に応じてさまざまな形をとる。
それは地に下がっては大河や高山となり、
天に上っては太陽や星になる。

安政の大獄で松蔭は30歳の若さで処刑されるのである。
この気概が、七生に伝わり現代に生きてるでしょうか?

皆さんは松蔭を始め明治を創った志士たち、如何おもいますか?

2018年03月06日

グローバル化は志縁の時代

人類が狩猟採取の時代から農耕の時代を経て、
産業革命が起こり機械化の時代となってきた。
現代はモノを作る機械化でなく、人間と同じ仕事のできるAI(人工頭脳)化、
にIoT(モノのインターネット化)へ電化製品がどんどん情報を処理するようになってきている。

社会は血縁で固めた時代から、地縁を大事にした時代をへて発展し、
日本では戦後急激な発展を遂げたのは、終身雇用制と年功序列賃金による構造があった。、
それが、会社の縁、社縁を大事にし一丸となって働き、家族のように社風ができ、
大家族経営がなされてきた。

私はこれをさらに細分化した京セラのアミーバー経営が良いと考えてる。
その経営方針によって、世界を驚かす生産力を身につけ、
ごく最近まではGDPが世界第2位となり、(今は中国が第2位)、
製品の品質も「メイドインジャパン」は世界に愛された。
ところが、アメリカのシリコンバレーで生まれたIT技術によって、
具体的で簡単な操作のできる「Windows95」が、1995年に販売、普及しだして、
世界に劇的な変化が起きたのである。

さらに進んだスマホの登場は、個人間の信用関係が世界の仲間と
一瞬にできるように変貌した。
パソコンの前に坐るだけで世界のどの国へでもいけることが実現されたのである。
しかし、これは既存に築き上げてきたリアルな人間関係(サプライチェーンも)が
崩壊していく過程でもある。

インスタ、FBといったSNSが普及し、商品の購買の方法も変化し、
メーカー、卸、小売といった、縦社会のヒエラルキーがメーカー即消費者へと変化してる。

町内会やムラ共同体の情報交換が壊れ、会社を信用して買っていた商品を、
自分で情報を集め、判断できる位に情報があふれている時代になった。
メルカリは個人間の信用の市場だが不正や約束を守らないで支払いしない人もいる。
そうなれば、情報を調べ、実際にリアルな実体があるか確認する必要がある。

さて、社会では分業して生産性をあげれるし、機械を開発すれば、
もっと早く生産できることは間違いない。
これはモノとしての側面である。効率を求める合理性の世界だ。
生産性をあげて生活を確保するのも働く事だが、
社会が血縁の関係を重点におく時代でもなく、地縁の関係でもない。

会社の社縁という絆も崩壊しつつあるのが現状だ。
会社の行事の飲み会も若者にとっては参加したくないというような流れがある。
では、社縁が物理的な繋がりから、一歩踏み込んで質の議論をすると、
やはり社会に貢献し、喜ばれ「有難う」を言ってもらう利他行(お役立ち)といった、
志を共有する集団、言い換えると「志縁」へと飛躍する時期が来てる。
宗教のような教義を重んじるというものでなく、
公共の利益を共有すること、利他行という志を共有する事だ。

私たちは「石材」を扱っているので、
石材を使っていただき喜びを味わう商品サービス、
技術提供をするという「志」を共有するという事で買っていただく人、
世間(社会)も繁栄する。勿論業界も、さらに自然とも共生できるような工夫をする。

そんな使命、志を持った集団として仕事の具体定とともに、仕事の品格を深め磨くのが
「志縁」だ。
仕事を通じて人間も磨け、生活も安定し、物心両面が幸福になることが実現される。
単に利益を設ける集団では半分は正解だろうがすべてではない。

二宮尊徳流に言うと、
「自利のない利他は偽善者 利他のない自利は独裁者」
三方良しの「志縁」がこれからのグローバル化の時代の社会集団のあり方だと感じる。

皆さんはいかが考えますか?