社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2012年04月15日

自我のない日本人

自我のない日本人は優柔不断のように国際的に評価されてることと、
日本人そのものが自国の文化や価値観を否定してるように感じるのは私だけだろうか?

基本的には欧米の価値観は個人を真ん中に据えて考えられる。
1〕父性的社会
2〕競争主義が発展するという相対主義〔他人や自然と戦って勝ち取る〕=原因
3〕共存主義が結果になる。〔汚く稼いで奇麗に使う主義でボランティアで奉仕する〕
ところが日本の価値観は集団や自然を真ん中に据えて考えられる。
1〕母性的社会
2〕共存主義で発展するという相補主義〔人間と自然が融合し、相互に助け合う〕=原因
3〕競争主義が結果になるが、
  是は他人と戦うのでなく自分の弱い面、未熟な磨かれてないところと自問自答する戦い。

このように単純には表現できなく複雑な要素が絡むに違いないが、
大雑把に考えるとこうなるのである。

社会人になるには集団に馴染むことが一番で自我意識が二番になる。
とはいえ、自我が奴隷のように押さえつけられてるわけではない。
むしろ、ミーイズムといって自己中心的な言動が目に付く。
ヨーロッパの紳士は騎士道という文武両道の人格であったが、
日本も幕末には武士道〔新渡戸稲造〕といわれる品格のある自己形成があった。

老子に詳しい加島祥造さんは、
「人間は生まれて三つか四つぐらいまでは円の存在で、自我意識と、無我意識が共存してるそうだ。
 その後の教育だとか社会で三角になったり四角になって自我意識が出来る。」

「誰しも欲望が出てきて、求めすぎ、意識しすぎて、いつも不安や恐怖を抱く。
 しまいにはノイローゼになり、集団的恐怖に駆られるから暴力や非情が起る」

「自我というのは恐怖心を生むからね。解脱というのは突きつめれば恐怖からの脱出だ。」

日本人は自然が豊かで欧米のように開拓が主でなかった、
自然と寄り添っていけば生活が出来たのだ。
だから自然と共存する相補主義になった。
〔詳しく言えば江戸幕藩体制の封建制がいっそう強固にした。〕

ここ最近は、
1〕情報化社会の発達で、たて社会の秩序が壊れ村社会のコミュニティーが崩壊してる。
2〕経済社会の価値に影響され、 
  若者の表現方法が無意識に自我の強い欧米の価値観を優先するようになってる。

世界の経済が混迷する今こそ温故知新で、歴史的に日本文化を見直し、
欧米とアジアが助け合い与え合う世界平和構築のハイブリッドな哲学觀が求められる。

みなさんは東洋的自我と西洋的自我どう感じますか?

2012年04月13日

法句経に学ぶ

法句経とは「ダンマパダ」と呼ぶ原始仏教の経典で、
御釈迦さんの会話形式になっているものだ。

昔、近所のおばあちゃんに諭されたような当たり前の言葉が書いてある。
八万余巻あるという経典を持つ仏教は哲学的に深いが、
御釈迦さんの当時は具体的で解りやすかったようだ。

25章の「友」

1)明らかな智慧ある人が友達として付き合ってはならないのは、
  信仰なく、物惜しみして、二枚舌を使い、他人の破壊を喜ぶ人々である。
  悪人達と交わるのは悪いことである。
2)明らかな智慧のある人が友として付き合うべき人々は、信仰心があり、気持ちがよい、
  素行のよい、学識ゆたかな人々である。特に立派な人々と交わるのは善いことである。
11)どのような友をつくろうとも、どのような人とつきあおうとも、
   やがて人はその友のようになる。
   人とともに付き合うというのは、そのようなことなのである。
21)〔友となって〕同情してくれる愚者よりも、敵である賢者のほうがすぐれてる。
   同情してくれる愚者は、〔悪いことを教えて〕人を地獄に引きずりおろす。
22)もしも愚者が「われは愚かである」と知れば、すなわち賢者である。
   愚者でありながら、しかも自分は賢者だと思うものこそ、「愚者」と呼ばれる。
25)よく気をつけていて、明らかな智慧あり、徳行をたもち、学ぶところ多く、
   しっかりしていて、敏捷な人に親しめよ。・・・・・・諸の星が月にしたがうように。

御釈迦さんに、確かアナンだったと思うが「友は大事ですか?」と質問したら、
即座に「友がすべて」と語られたと書物で読んだ記憶がある。

また、以前テレビの番組で104歳になる永平寺貫首で、
漕洞宗管長の宮崎奕保禅師が「友」仲間について、
「この年まで修業出来たのは、毎日朝起き参禅する友〔若い修行僧〕がいたからだ。」と語られていた。

老師は続けて「学ぶと言うことは真似すること、一日やったら一日真似る、
        二日やったら二日真似る。一生やったらその真似は本物や」
         「平気で生きることが悟りや、平気で生きることが難しい」
         「まだまだ学びたらん」と締めくくられた。

みなさんは友がすべてということ実感として受け止められてますか? 

2012年04月12日

社会人になり自立するチェックと評価について

今年も三名の新入社員と二名の中途社員が入社されました。
新入社員研修を受け、どんなビジネスマン〔社会人〕がいいかという発表があった。
具体的に笑顔だとか言葉使いといったこともあるが、基本のスタンスが大事だ。

社会人になると言う基本のスタンスは難しいことではありません。
今まで親から食べ物や教育を与えられ、守られて生きてきました。

簡単に言うと逆にすることだけだ。
「守られる存在から、守る存在に、与えられる存在から与える存在になる」

親に感謝することから始まるが、
「育てて当たり前、与えられて当たり前」と思ってきたし、
友達の親と比較して、不満こそあれ、
このいのちを生かしてくれたことに感謝すると、
考えと行動が、数日の研修で逆になるかどうか疑問だ。

40年前の素直になれなかった自分の社会人一年生を考えてもわかる。
そこで今、どの程度自立してるかモノサシを当て他人に評価してもらうしかない。

     自立の五つのモノサシ
1)自己依存=他人に期待せず自分に期待する〔自己信頼とも言える〕
2)自己管理=自らの可能性を最大限発揮する行動が出来る。
3)自己責任=心の原因は自分自身にあると考える。
4)自己評価=本物を目指してとことん行動する。〔評価は是々非々は自分でしない〕
5)他者支援=他人を信頼して支援する。〔利他行〕

そのためには志を胸に抱いて自分を信じて〔信念を持って〕行動する以外にない。
現実は自分にとって都合のいい事も悪いことも起るし避けられない。
100%受け入れ智慧と行動力で突破するしかないようだ。
さて、評価はどうなるだろうか?自分では道半ばで50点ぐらいかな!!
頂上のない山登りが仕事・人生だそうなので、
未来の自分を楽しみに日々研鑽努力するのみだ。

みなさんはどんなチェックリストを持っておられ、評価はいかがですか?

2012年04月10日

学ぶことを楽しむ

恩師小田切瑞穂先生と出合ったのは23歳の時だ。
もう四十年前のことだ。

先生が「君は鬼の面があって覇気もあり行動力はあるが、
    鬼に金棒といって金棒の精神の柱がない」と言われた。

私は即座に「ではどうして金棒を作るのですか?
   鬼に金棒の本物の強い人間なる方法を教えてください」と聞き返した。
答えは、先生が主催する東方学術院という勉強会の関西の世話役をやらされる
羽目になった。

この時は本など最初から最後まで熟読した本は一冊も無かった。〔今もそうだ〕
しかし、目的が自分が強くなることだから、少々は努力もするが、
漢文の解説の講義には瞼が自然と閉じるのを我慢しながら聞いた思い出がある。

人間には天から授かった三つの優れた
1)徳性〔根っ子の人間性〕、
2)知能(物を知る能力)、
3)技能〔モノを作る能力〕がある。

学問的には、
1)本学が徳性を養う人間学。
2)末学(時務学)で知識や技術だが、これは日進月歩変化するから時の務めの学だ。

物事には本末がある。
これを自己本位に逆にすることを本末転倒というが、
知識や技能という時務学を学ぶのは末学で、
本学〔人間学〕を学んで金棒を創れという意味だった。

しかし、当時は理論武装と言う言葉がはやっていて、
「あー言えばこう言い、こう言えばあー言う」と末学を小賢しく操っていきがっていた私だった。
若気の至りといえばそれまでだが、今思うと恥ずかしいかぎりだが、
その薄っぺらい生き方を見抜き、深く考え学ぶことの大切さを教えてもらった。

ある時、先生に「先生の話は難しくわかりにくい。だから優しく我々に合う言葉で
説明ください。」と言ったら、先生から雷が落ちてきて、
「君たちが学ぶ方で、私が教える方だから、君たちが予習復習し、
私に合わすのが当たり前だろう。」と叱られた。

なぜかわからないが、自分が間違っていたと心が素直になったのを今でも鮮明に
覚えている。
小林英雄は「歴史を学ぶことは自分を知ることだ」とおっしゃってる。
私たちは過去を記憶してる、今創ってる自分も自分だが過去の記憶も自分なんだと
いうことだ。
身体的体験に凝縮されるが、先人から学ぶことも自分そのものだそうだ。

みなさんは学ぶこと楽しんでおられますか?

2012年04月09日

生命の法則

自分のいのちが輝き活き活きすることと、
心が安らかに安心することを願い、
自分のことばかり考えてるのが人間だと気付いたのは御釈迦さんだ。
安心立命する方法は自分で智慧を絞って利他行〔無縁の慈悲〕をすることだと諭す。

ある時マザーテレサに、
「あなた方は今死にかけてる人を助けてなんになるんですか?」と問うた。
毅然としてマザーは、
「私たちは社会を変えるようなことをしているのではありません。
 その人の餓えを満たしてあげる、ただそれだけでいい、
 しかし、この一滴がなければ大海は満たせません。」

生命に法則がある。
その法則は「人間は他人のいのちに仕えるとき、自分のいのちが最も輝く」
仏教では慈悲には三つあるという。
1)衆生縁の慈悲=困ってる人を助ける人情
2)法縁の慈悲=仏法と触れ自我の執着に目覚める。
3)無縁の慈悲=全く関係の無い人に布施、対象の無い慈悲〔利他行〕の行動。

マザーテレサのように死に行く人の餓えを満たすことができなくとも無縁の慈悲をする。
私たちはマザーのような心境になれないが、電車で見ず知らずの人に席をゆずりますね。
今、危険な状況にある通りがかりの人に無我夢中で身を捨てて助けますね。
われわれの遺伝子にはそんな良心が植わっている。
われわれ凡夫は浅いですが、
無縁の慈悲という合理的計算しない行為をすると、生命の法則が働く。

みなさんは生命の法則、どう感じますか?