こんなにモノに溢れた豊かな生活の源は石油・原子力という外部エネルギーだ。
1750年代にイギリスで起った産業革命は根本的に世の中を変えるエネルギー革命でもある。
ここで出現したのは手作業で働くことから機械を使って働くことになり、
馬や牛の操り方よりや機械の操作の上手な人が働くことだ。
一方、この技術を発展するために物理学や化学といった理工系技術者の能力が期待された。
養老孟司先生は現在はこの外部エネルギーが40倍かかって文化生活してるのが日本で、
アメリカは160倍かかってるといわれる。
エネルギー革命のない時代は人間のエネルギーに牛や、馬、象、
あるいは簡単な滑車の原理(未熟な物理学)などが使われていただけだから、
モノの生産量は限られている。
だから、人間の価値が非常に高く評価された、
大工さんや鍛冶屋さん、その後は商人と言う流通を考える人が珍重されるようになる。
現在は人間の価値は逆に40分の1に小さくなり、
40倍のスピードの機械、情報のほうが価値があり、
結果モノ・情報の価値が評価され人間の価値は表に出てこないのである。
しかし、人間が物を使い、情報を使って幸福に生活することが本質であることを見過ごしてはならないのだ。
人類が競争と、信用の社会になったのも代替エネルギー(石油)・原子力と技術が進んだからだ。
でもこれには必ず反作用の問題を含んでいることに正面から向き合うことだ。(CO2・放射能の問題)
人間の価値が表に出てくるのは、
1)生活に関わる時
2)生死に関わる時
日本の社会は個人の全責任を追求する個人主義の社会でなく、
他律的だが『世間』『会社社会』が義理と人情で助けてくれる仕組みが、
暗黙に出来てる社会だ。
無宗教の社会でもなく、世間宗教とでも言うべきで暖かい人間関係がある。
村が壊れ、先祖を大事にしないようになってるとマスコミは言うが、決してそうではない。
東北の震災時も現場に行きましたが、自分より大変な人がいてると震災に会っていても感謝し、被害の大きい人を先にして助け合う姿と秩序が出来ていた現実がある。
空気を吸って生きてるが、空気に無意識なように、
世間という助け合い『絆』が無意識に出来てるのだ。
震災に対しては石材業界でも義援金や人財の支援・モノの支援もやっているところだ。
社会の生産活動が工業化社会、情報化社会と軸が変わっても、
人間が人間のための生産活動であるのが本質だ。
もちろん、自然という恵みを使わせてもらってだ。
(自然を無謀に使うのでなく、再生させながら)
西郷隆盛さんの『敬天愛人』という言葉に共感する。
自然に畏敬の念を持って敬い、いたずらに人間が無造作に扱わず感謝の念を忘れないこと。
それに人間の尊厳を愛することで人間同士が相補的に助け合う社会が生まれ共存共栄になる。
それには内なる自分の自律的な形成が欠かせない。
これは頂上はない山登りだ。
日々の活動の中で努力と調和を求め『世間』チェック機能のようにを大事にする姿勢がいる。
『世間』はいい換えると理性的な基準でなく『お天とうさんが見てござる』である。
みなさんはモノの豊かさの奥にある無意識の『世間』どう思います?