社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

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2018年11月14日

「イノベーション」に思う

トヨタは「改善」運動を続け世界の車業界の先頭を走ってるといっても過言でない。
この改善が一歩づつ前進して大きな改革が達成される。
最初から「革命」は起こらないのである。

仕事に向かう姿勢は一般的に「慣行に基づき行動してる」とシュンペーターは言う。
即ち、ルーチン化した作業をこなす事で、とても安心してできるからだ。
イレギュラーを好まない。

しかし現実には、従来のやり方で上手く行かないことも起こる。
世の中の購買の変化やスマートフォンのような商品の供給により、
決済手段が変化し従来の常識が変わる。

一般には上手く行かない事が起こると、
「迷って立ち往生して、環境のせいにし愚痴が飛び出す」、
何の解決にもならないが、必死に過去の自己の行動を正当化するのが普通だ。

イノベーターといわれる企業家はそこで立ち往生は許されない。
果敢に挑戦するが、お金目当てのためにやれば失敗するとシュンペーターは言い切る。

もう一つ大事な事は「アニマル・スピリッツ」であるとケインズは言う。
企業の活動が数字と冷静な確率的計算のみに依存するようになったら、企業は衰退する。

イノベーションはまるで探検隊と同じようなものだというのである。
米国は30年間でITC投資が2.8倍、日本は11%の投資である。

世界は今、ドラスティックに激変してる。
トランプ大統領は「アメリカンファースト」という保護貿易主義を主張する。
一方、中国は2025年にはアメリカをしのぐ製造大国になり、GDPでも世界一になろうとして、世界の製造技術やIT技術の会社のM&Aを盛んに進め、先進国の技術を集めている。

貿易戦争の裏には技術の奪い合いという戦いが行われ、米中の冷戦時代という人もいる。
そんな世界情勢の中で今求められる人材はルーチン仕事をこなす「養殖人財」でなく、激しく変化する経済社会を探検する「天然人財」(アニマルスピリット)がいる時代でもある。

皆さんはいかが思いますかイノベーション?

2018年11月06日

IT化の光と影

「人間は組織する事によって互いが成長する。」
こんな言葉がある。
ところが昭和の時代にあった「世間」という壁はなくなり、地域のコミュニティーも希薄になり、ライフとワークのバランスをとる時代と政府は言う。

だからと言って、趣味のグループや研修会、講演会などに積極的に参加する帰属意識もない。
自分の都合で、でたりはいったりするわがままな自由はある。
昔はグループは暗黙の掟があり、自己都合は二番にせざるを得なかった。

リアルな社会で一番自由なのは「お金」だった。
いつでも、どこでも等価で交換できるから生活するのに一番自由で便利だ。
だから資本を持ってるものが儲かる仕組みになってる。
現実の社会では銀行が一番偉そうにしていたのである。

ところが、情報化社会になってGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)というビックデーターを持つ企業が世界の経済を牛耳る時代になった。

情報化社会のIT化された通販やスマホによって生活する人間には光と影がある。
1.光=より早くより自分の要望に答える商品サービスを手にできる。
そのことによって快適な生活が送れる。
自らを磨くための読書や自然を味わい登山をしたり、
友と語らいコミュニケーションの密度を濃くして、人間として成長する。
昭和の世界のような生活環境が貧困で苦しみから這い上がる(苦)学び方でなく、自らの人間形成をプランし、楽しく磨いていく事ができる。

2.影=昭和の「世間」という壁もなくなり、自由を手にするが所属欲求が崩壊し、砂漠の砂のようにバラバラの粒にアトム化(原子)し、孤独になり寂しく不安な人間が反面できるのである。
便利な買い物はアマゾンによってコントロールされ好まないことは選択しなく、判断能力が欠如しバランス感覚が狂って偏った人間にもなりかねない。
アトム化された人間はあらかじめ信じる価値観、世界観を持たないのである。
浮き草のようだ。(今までは世間が壁を作って守ってくれた。)

欧米と日本は国家の概念が違う。
アメリカではトランプ大統領の中間選挙で相手の候補者をバッシングする戦いが起こってる。
それは国家とは民族的な帰属と国家機構が相互に融合し国民国家となる。
しかし、欧米は民族、国民、人種、宗教、言語、生活習慣、伝統文化がばらばらだから融合が難しく、相対的に戦いを繰り返し、一時的にまとまったようだが、モザイク模様の国家なのだ。
唯一共有できるのは「信条の自由」のみで国家が国民をつくるのである。

ところが日本は違う。
自然国家といわれ、民族、国民、人種がほぼ一体となって縄文時代から1万年続いているのである。
今移民の問題がでてるが慎重な議論が必要だ。
アメリカは白人主義で白人の文化を守ろうとトランプ大統領は「アメリカファースト」と叫んでいる。

皆さんはIT化の光と影どうおもいますか?

2018年11月04日

「心の雑草」常岡一郎棟梁に学ぶ

中国で最も古い書物が易経だ。
われわれはこの易経を自分の意志とは関係なく、
単に占いに身を任せる事と勘違いしてる。

元来易経は「時」のことを64に分けて、
人生で出くわす困難や苦しいときに、
どうすれば上手く生きぬけるか書かれている解決書である。

時とは「春夏秋冬」を軸に考えられている。
春に種を植え、夏に勢いよく成長する(このとき大事なのは雑草も伸びるから除去する)
秋に実りを得る。冬が一番大事で、この時期は土を肥やし耕すのである。

この自然(宇宙)の法則通りに生きれば、
万事災難からの解決方法が理解できるというのである。
これを「時中」という。

だから、時流(流行)を知る事は大事だが、時流に流されるなと諭す。

易経は三つの言葉が柱となった書物である。
1.変易(すべてのものは変化する。仏教で言う諸行無常だ)
2.不易(変化には一定の法則がある。宇宙の法則こそ不変、言い換えると春夏秋冬)
3.簡易(この、1・2番の法則がわかれば困難解決は簡単だというのである)

時中とは解決策である。(的中ともいって、的を射た解決策をたとえ話で語っている)

さて、人間の一生も変化の過程なのだという大きな視点で見れば、
青春期は春でいろんな体験をして学ぶ、その学んだものを生かして成長する。
このときが一番大事で、雑草(欲望・利己心)も成長する。ここで雑草を採って、
本当に実らせたい種を伸ばす。そして40代から50代は世の中で活躍する。
晩年は土を耕すように、後継者を育成するのである。

常岡一郎宮大工の棟梁は「心の雑草」という一文を書かれているので紹介する。

「人の心には雑草が生えやすい。心の雑草は茂りやすい。
良いものが枯らされてしまう。心に雑草が生えないために、
善根がひろがるために、われわれは油断なき修行がいる。
反省がいる。
良い友がいる。
よい研究会、座談会、講演会がいる。」

皆さんは心の雑草どうして採られていますか?

2018年11月03日

孔子が目指した「理想的な人間」

論語の子罕第九にある。

「子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」
意味=知者は物事の道理を弁えているので迷わない。
仁者は私欲を捨てて天理のままに生きようとするので心に悩みがない。
勇者は意志が強いので何事も懼れない。
誰でも生きていれば、経済的に困窮する事もあり、急な病になることもある。
仕事上のトラブルや人間関係の問題にもぶつかる。

どうすれば解決するかを64通りの物語で教えるのが易経だ。
「春夏秋冬」の時の循環はあくまで自然の理法だ。
ところが人間は冬はいらないと考えがちだ。
「春夏秋」の三つが循環すれば、より早く行くと意識で考えるからだ。
人間の欲望と言ってもよいが、ウサギと亀ならウサギ的な発想になるのが一般的だ。
亀は理想というゴールを見て歩き続けたから勝ったのだ。

論語ではあくまでも自分自身を修養をすることを正しいと教える。
自分が知者であり仁者であり、勇者でありたいと願うのは誰でも願う。
だが、孔子はそう簡単にはなれないというのである。

この前の文章にでてるのは、
「子曰く、歳寒くして、然る後に松柏の彫(しぼ)むに後(おく)るるを知るなり」
意味=寒さがはなはだ厳しくなっても、松や柏が他の木のようにしぼまないのがわかる。
人間で喩えると苦しみにぶつかって始めて真価がわかる。
(要するに困難に出会い自分が松か柏か雑草かの真実がわかる。)

その前文は「由」とは子路の事だ。
彼は少し強がりで荒っぽい武士のような気性でおだてに弱い。
「子路は敗れた綿入れを着て、狐や狢の皮衣を着た高貴な人のそばに立っても恥じないのは君やな!」と孔子は言う。
孔子先生に言われて調子にのって子路は繰り返し「有ることをねたんだり、
無いことを恥じず心惑わない」よしよしと自己満足していた。

孔子はさらに付け加えて人間が本物になるには、
「それだけではないよ!厳寒の苦しみを乗り越えて青々とたつ松や柏になる」というのである。
調子乗ってる子路は、孔子に一本とられダメ詰めされるのだ。

さて、自分の身と心の主人になるには、自らが知者として毎日学び、
仁者として毎日天理の物差しで生き、勇者として強固な意志を持って現実に当たる意外にない。
一年や二年のやったからと言って手に入るものではないことを覚悟しなければならない。
欲望と理想の二元を行き来していては解決しない。
欲望をエンジンに志し高く、亀のようにこつこつ十年を区切りにやり続ける意志がいる。

皆さんはいかが考えられますか?

2018年10月25日

「日本のジャーナリズム」と仕事、人生の向き合い方

日刊スポーツに安田純平さんの解放を喜ぶニュースが書かれていた。
そこに、亡くなられた筑紫哲也さんのことばで、「終身雇用という形態で、企業の中で地位が上がっていく企業ジャーナリストは、その分バランス感覚がたけている。
一方、フリージャーナリストは会社の縛りや、制約がない分、踏み込んだ取材ができる。
日本のジャーナリズムはその両方が絡み合うことで力を発揮する」
実に素晴しい洞察力だ。

ところが、いつの間にか戦場取材は、組合が危険手当を要求。
労務担当はリスクが大きいとフリーに委託するようになった。
いくばくかの取材費はもらうが自己責任を前提にするのは当然だ。
それでも行くのは、「使命感」からだと結ばれている。

経済的な世界で活動する仕事をするわれわれも同じだ。
自分を利する気持ちと他人を利する気持ちが葛藤しどう折れ合うかが、現実の出来事、人と人のかかわりで生まれ、決断が問われる。

普通は自己の価値観に照らし、会社なら自分のリスクを小さくする行動をとる。
その自己を守る利己心のモノサシだけで良いのかが問われる。

アインシュタインは大変な日本びいきで、これからは日本が手本になるとまでいった。
「自分を中心に考えると、人間の世の中は腐る」というのである。

日本人は相手を気遣う気風「おもてなしの心」がある。
茶道や華道の所作の中に文化として伝承されているのは間違いない。

現代人のようにお金持ちや政治家、官僚、社長や先生という外見的な地位で評価するのでなく、アインシュタインが見た日本は心根や世の中に与えたもので評価する謙虚さがあり自己中ではなかった。
だから、幸せは自分の心が決めるというのである。

「足るを知る」心で、相対比較して、欲望を満たす決断でもなく行動でもない。
他人を気遣う事が一番だ。

人間は眼に見えないもので殺しあいする動物だ。
神や仏が違うから戦争し、国家という見えない社会の規律が違うと貿易戦争になり、お金という交換価値だけの自由を求め奪い合いする。

ジャーナリズムの使命感と同じように、経済的な仕事・人生においても他人(仲間)を利する使命感「志」のモノサシが自分を突き動かす。
そこにこそ自分が主体の人生を味わい自分を感動させ、他人を感動させれるのだ。

皆さんは日本のジャーナリズムと仕事人生の向き合い方のスタンスどう考えられますか?