2010年07月12日
ミドルライフの時代こそ成熟社会
一億総中流意識といわれ時代は三十年前になるであろうか?
1985年のプラザ合意以降円高容認の内需拡大政策により、
日本中が土地は必ず上がるという土地神話に踊らされ、
バブル経済を生み出した。
1989年ベルリンの壁が崩壊するとともに、
バブル経済も崩壊していくのである。
その後、1990年代を経済は「失われた10年」といって金融の再編と目標のない迷走を続け、
2000年に入って、バーチャルな世界が時代の牽引とばかりにネットバブルが起こすのである。
その先鋒だったのはライブドアのホリエモンだ。
時代の天才起業家のようにマスコミは扱ったが、
虚業は虚業として崩壊の道を歩んだ。
「スローライフかファーストライフ」というような二者択一の選択しかないのは、
社会が成熟していないように考えるのは私だけだろうか?
イタリアでは10年も前になるだろうかスローフード運動が起こり、
マクドナルドやケンタッキーのようなファーストフードを攻撃し、
ヨーロッパでは経済優先のファーストフードを否定する動きもあった。
成熟社会とは多様な生き方が受け入れられ、共存する社会である。
もちろん、「自由と規律」を自己責任で引き受ける覚悟があることと、
同時に品格ある社会を実現するのである。
言い換えるとすべてが一律に人間を中心に平等でなく、モノによって基準を決め、
収入も、消費税もライフスタイルによって違いを演出することができる自由がある。
ことわざに『分相応』と昔から言われるように、
私のミドルライフの定義は自己責任である。
その条件は四つある。
1)比べない自分
2)妬まない自分
3)怒らない自分
4)愚痴らない自分
この四つから自分を解放する過程に幸福感があると信じるからである。
すべてを他責にしないで自己責任を原則にすることが、
ミドルライフを生きれる権利を持つことになる。
これは理想論過ぎて、利己心や欲望の多い人間には出来ないというなら、
このまま富める者と富めない者が二極化することを批判せず、成り行きに任せるしかない。
そして、品格のない国民に成り下がることを悔やまないことである。
私は政治に関わる大きな仕事をしたこともなく、
自己責任で「三方良し」をものさしに、
お客さんのお役に立てばと「商い」をしてきたにすぎない。
人間からの視点だけでなく、政治の仕組みからも提案することがフェアーなので、
以下にたとえ話風の稚拙な考えを披露する。
政治とは何かをイメージすると、
政治=川の堤防の高さと方向であり、
国民=水そのものの質と量である。
政治
高さ=できるだけ低く情報が開示され透明であること。見える化する。
方向=あるべき国の姿(ブータンのようなGHP幸福を基準に)分かち合える社会の姿。
ビジョンの明確化だ。
人間
質=ヤマメや鮎がいていつも新鮮を保つように流れてる。(自己革新)
量=国民一人一人が自己責任を自覚した自主性を育む。(自覚、自立、自主)
政治という仕組みと自分の環境を良くしようと自己責任原則の国民との双方が、
社会をより良く創造し、地球とも共生しながら共存できると確信する。
皆さんは如何考えられますか?














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