社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2011年11月20日

血が通よったコミュニケーション

会社には『使命』が必要です。
私たちは『石』を生活の中で使っていただき、
買って頂いた御客さんが幸福を創造し、実感していただくことが究極の目的だ。

このミッションを実現するためには判断の基準、
行動の基準となる理念が共有された組織がいる。

私たちの組織の理念は『利他行』と『三方良し』だ。
1)「利他行」決してお金儲けが目的ではなく、あくまで手段であり結果だ。
石の使用価値を最大限に生かし、お客さんに役に立つ提案をするために、
人間本来の自利心をエネルギーに使い、「利他行」一番、「自利心」原動力なのだ。

2)「三方良し」善悪、損得、好き嫌いのように二方で考える分別するのでなく、
現実的には自分を利する、他人を利する、世間も利するという矛盾を克服し、
徹底して考え抜いて「私心」を離れた「善」を導き出す努力がいる。
もちろん具体的な行動が知恵の正しさの証明になる。

この二つの理念が血肉化することが現場で行われることだ。
この実現に何よりも重要なことは『コミュニケーション』であり、『血が通うこと』だ。
このコミュニケーションで気をつけなければいけないことが三つあると断言されるのは、
東大名誉教授の畑村陽太郎先生だ。

1)『形式主義』ルールさえ守ればいいという考えに陥る。
車のハンドルに遊びがあるようにルールも人間が生かしたり殺したりすることを注意する。

2)『官僚主義』これは部下は「命令されたこと」さえやればいいと言うように自発性や創造力を奪ってしまう結果になる。あくまでも自律性を重ん事『失敗』を否定する風土を作らないことだ。
『失敗』は原因探求し是正し、次への飛躍のチャンスにする大きな心構えが必要だ。

3)『数量主義』数字ばかり追いもめると目的化して、数字以外にプロセスや気配りが無視され、
報告のために現場で数字合わせの改ざんが行われることがあるので注意がいる。

以上を克服するには『現場』に行く、触れる、人と話し合う。
血の通ったコミュニケーションがすべてを活かす根本だ。
理念が血肉化してこそ『使命』が果たされるすばらしい集団になること間違いなしだ。

みなさんは「理念」と「現場」とが血が通ったコミュニケーションで結ばれてますか?

2011年11月18日

もう一人の自分

誰しも二人の自分がいる。
生まれて親の愛を受け、社会の愛の中で育っていく、
そこでは依存心の強い素直な自分がある。

この自分は直ぐに『辛い』『苦しい』と言う自分だ。
私の友人は『人間の本質』を、
1〕怠け者2〕愚か3〕欲張りだからこそ、
もう一人の自分に合うために『努力』がいるという。
それは『喜び』と『感謝』する自分だ。

誰もが知ってるドイツの哲学者のカントは飛行場になってる〔現在〕ケ-ニヒスブルグ、
馬の蹄鉄打ちの親父さんの元で生まれる。

身体は背中に団子のような瘤があり、
胸の乳の間が狭く、脈がいつも百二十ぐらいの速さでうち、
喘息がひどく死にそうな子供だったそうだ。
親も苦しんでるが医者にもかけないが、
年にいちにど来る巡回の医者にみてもらうことにした。

この医者が実にすばらしい診察をし言った一言で世界的な人物になったのだ。

『気の毒だな、あなたは。しかし気の毒なのは身体を見ただけのことだよ。
身体は気の毒だが、苦しかろう、辛かろうそれは医者がみてもわかる。
けれど、あなたは心はどうでもないだろう。
あなたの心がどうってことないのに、
『苦しい』『辛い』口で言ったら両親が苦しむだけで何もならない。

『苦しい』『辛い』と言う口で、心の丈夫なことを『喜び』と『感謝』に考えればいいだろう。
心が丈夫なおかげでお前は死なずに生きてるじゃないか。
私の言ったことがわかったら、一日でも二日でもそうして見ろ。
私のお前に与える診断の言葉だ。わかったかい。薬はいりません。』

言うまでもなく、カントはそれを実行し「苦しい」「つらい」と言う言葉を一切心に描かず、
『喜び』『感謝』を心に描き、肯定的で、積極的な人生を送って世界の偉人の一人になった。
私は100%『喜び』『感謝』飲もう一人の自分にならなく生まれたままの自分がでてくる。

皆さんはもう一人の自分と出会ってられますよね?

2011年11月17日

喜怒哀楽を学ぶ

私たち学生時代に『クール』と言って、
澄ました顔して喜怒哀楽を見せないで腹立っても怒らず、
おかしくても大声出して笑わず、悲しくても人前では泣かない。
他人の前で苦しい顔なんかは見せなく、ニヒル〔無表情〕が賢い男だという風潮があった。

まして、「雄弁は銀」で「沈黙は金」といって、
軽はずみに自分の心で考えたことを言葉多く話すのは下品だった。

私はその軽率な人間で愚か者だったに違いない。
でも人懐っこく誰にでも気前がよく好かれる性格だった。
ある人からはそんな私を世の中では『人畜無害』と揶揄されたことを良く憶えてる。

自己正当化するわけではないが、安岡正篤先生は『喜怒哀楽を学ぶ』と題した文がある。

「よく人は学問とか修行とか言うことを間違って、喜怒哀楽をしなくなることだと誤解するが、
 決してそうではない、それでは学問・修行というものは非人間的なものになってしまう。
 学問を為す要は、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかというところにある。」

更に、荀子〔中国の儒教者〕の言葉を引用して、

『それ学は通のためにあらざるなり。窮して固(く)るしまず、
 憂へて意〔こころ〕衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるなり。』

意味=通とは通達することで、学問というものは決して出世や生活の手段でない。
   窮して悲鳴を上げたり、心配事のために直ぐぺしゃんこになるようでは学とはいえない。
   何が禍であり何が福であるか、いかに始まりいかに終わるか、ということを知って惑わざるが為なり。

仏教でも「悟る」とは仏像のように半眼になり、
喜怒哀楽の表情をしないで超えることと誤解されてるが違うと恩師小田切先生が良くはなしてくれた。
それでは傍観者の知恵になりニヒリズムに陥るといっておられた。
「喜怒哀楽を出でず」だそうだ。
御釈迦さんも六年間の修行をへて菩提樹の下で覚められたが、
こんなこと話たら気が触れたと思われ他人に話すことをを悩まれたそうだ。
しかし、この世で目覚めたことはこの世で伝えることだと亡くなるまでインド中を行脚された。
その話された中味がお経として「阿含経」「華厳経」「法華経」「般若経」「涅槃経」
の五つが弟子によって伝えられたそうだ。

みなさんは「クール」派ですか?
現実の中で活き活き行動し「喜怒哀楽」を表現する主体者派ですか?

2011年11月16日

二宮金次郎〔尊徳)に学ぶ

私たちの小学校、中学校の校庭には必ずまきを背負って本を読む、
二宮金次郎の石造があった。
読んでる本は『大学』という四書五経の中国古典だ。

夜中にろうそくの火を灯し本を読んでいたら、
菜種油がもったいないと叱られる。
また、畦道がもったいないと豆を植え少しでも作物を作ろうと考える。

農業をしてる人なら誰でもわかるが、
肥沃な土壌と太陽の光という天地が恵みが作物の親なのだ。
上農=土作りをいちばんに考える。
中農=いい種を植え、虫や雑草に成長を妨げられないように手入れをする。
下農=米を収穫することだけで何もしない。

家庭教育も学校教育も大事なのはこの土壌を耕す根本の教えではないだろうか?
二宮尊徳さんの好きな言葉に、
『道徳のなき経済は罪悪 経済のなき道徳は戯言』というのがあります。

現代の世界は経済の話が大半で罪悪になってないだろうか?
もっと道徳の話、いい換えると各国の文化の話が世界中ではなされることが大事だ。

作物を創ってきた二宮尊徳さんは天地の法則にこそ命が支えられてると考えていた。

『音もなく、香もなく常に天地は書かざる経を繰り返しつつ』

人間の理屈を書いた御経でなく,宇宙の意志で動いている天地の尊さを表現されてる。
自然の法則、宇宙の意志を感じ沿って行く謙虚な付き合いを
人間同士が行い、温かい世界を創造してこそ人類の叡智だ。

戦争のない平和な社会はあるのではなく、
自分たちの道徳心を養い、たがいの文化を尊重しあう中に生まれるに違いない。

みなさんは如何に考えられますか?

2011年11月15日

自国の歴史と文化に誇り持ってますか?

TPPの議論が政権与党を二分するという中にわが国の現状がある。
根本的な文化の違いを生かしながら発展する議論が成されないまま、
経済的な障壁をなくすことが『自由と平等と友愛〔博愛〕』と人類が掲げた方向だが、
世界は気候も歴史も異なる文化を持っているので一度止まって考えることも大事だ。

花にはたくさんの種類があるように人類にもたくさんの文化があっていい、
また国のあり方やライフスタイルも違うだろう。
イタリアは国債発行高がGDPの120%になってきたと次のギリシャにならないか警戒してるが、アメリカ流のファーストフードに対抗してスローフード運動を10年前にやっていた国柄の文化だ。

EU経済圏ではギリシャが問題になってるが、日本の神奈川県の財政規模の国にもかかわらず、それが世界を震撼させる金融上の問題になり為替が一喜一憂し株価が変動してる。

さて、数学者の藤原正彦先生はアメリカ3年、ロンドン1年の海外での授業をなさった経験から、ハイブリッドな世界観を再構築し日本の文化を見直し世界に発信する必要を説かれる。

論理や、科学的思考を否定するのでなく、論理・科学思考×日本の情緒〔美的意識の感受性〕を強調される。
私も同感だ。
その日本的情緒は江戸時代に熟成された、
『惻隠の情』=弱者に対する思いやり、敗者に対する応援だと表現される。
相撲の掛け声の『はっけよい残った残った』は負けてる人を励ます掛け声だ。

この日本的情緒には三つの愛がある。
1〕自然愛〔自然とともに行き、紅葉をめで、滅び行くモノに侘びさびを感じる心〕
2〕郷土愛〔ふるさとを懐かしむ心)
3〕家族愛〔先祖や親に孝行し家族を思いやる心〕

この愛が日本の風土から生まれ、
歴史的には1000年も前に欧米にもなかったすばらしい万葉集や源氏物語という文学を残してる。
芸術が欧米に影響与え評価されたのはごく最近の浮世絵だ。
睡蓮で有名なフランス印象画家の、モネは部屋中の壁に浮世絵を張り、
南仏のセザンヌは葛飾北斎のまねをして富士山に似た山を三十六景のマネをして書いたという。

欧米の貴族=権力、教養、カネを支配のために持つことが必須だが、
日本の武士=権力、教養だけでカネは無かった。
士農工商という身分制度は商人は最下層の階級に置きカネは汚いものの扱いされた〔武士は食わねど高楊枝〕

だから、武士は道徳心が高く尊敬されていたし、貧乏を卑しいことだとは思っていなかった。
商人から賄賂をもらったり着物の袖の下を要求する役人もいたが軽蔑された。
勧善懲悪の『水戸黄門』や『大岡越前』といった時代劇を観ると共感し血が騒ぐのは私だけだろうか?

この武士の道徳観が戦前まで庶民の間でも常識化していたが、
戦後は欧米のライフスタイルが近代的だと日本の家屋や茶道、華道が影を潜め伝承されなかった。

今、世界はローマが犯した過ちの方向を向いていないだろうかと考える。
ローマは拡大期にはいろんな文化を容認しおおらかであったが、
衰退期になると法治国家になり、となりの敷地に入ると足を切り落とすといった法になる。
法治しなければならない国家は恥ずかしい国家で人類が野蛮化にむかっている。

本来は道徳とか倫理で自己規制する国家が誇るべき国家だと藤原先生は断言される。

先日IMFのラガルド専務理事のインタビュー〔女性〕を聞いた。
ラガルト氏は「世界は保護主義、迎合主義、自国主義という利己主義の方向性と戦い、
協力すること」が発展だとおっしゃっていた。

文化の違いや、現状の経済の枠組みでの成長段階がみんな違うなかで、
自分の中の利己的な行動と他人を利する利他的行動の葛藤のなかから飛躍して、
新しい哲学が産声を上げると考えるのも大事だ。

同時に個々人が道徳、倫理を身につけ自己規制できる人間育成も進められる話し合いが欲しい。

皆さんは自国の歴史、文化に誇りもってますか?