社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2011年11月13日

健康は働くことから〔心と身体で自分が生きがい創る〕

健康に暮らすことは誰でも願ってることだ。
身体の健康はもとより心が溌剌として生きがいを持つことだ。

それは、「他人のために役に立つこと」いい換えると「働くこと」だと私は考えてる。
もちろん女性の働きは子育てや、家事で家族をバックアップするのは立派な働きだ。
男女共同参画社会を目指す日本は女性と男性の役割が子供を生むこと意外は一緒になってきてる。

これが正しいかどうかは歴史が証明することだ。
仕事においても、家庭においても男女は異質であるから、
違う働きを互が相補的にやることが理想のように思う。

九十歳を超え認知症でケア-ハウスでお世話になってる母は、
三度のご飯や洗濯などは肉体的に出来ないから他人の支えが必要だ。

私が果物やお菓子を差し入れると、
『こんなものもって来てもらはなくてもいい、
こうして三日に一度来て話してくれるのがありがたい』
こう言うのだ。
それに付け加えて『時間があるから何か内職を探して持ってきて』という。
はじめは戦後は貧乏な時代あったからそんな風に言ってると思っていた。

最近は部屋で暗くして一人でいることが多いらしく老人鬱の傾向がある。
そこで、今度来るまでにこのパズルといといてとか、
千羽鶴をこの紙で作ってと言っておく。すると目が輝きだすんだ。

本当の健康は何か目標や目的を持って、
『人の為になる働き』をすることで『生きがいが生まれる』
この心の充実感が肉体も健康にするのだと確信する。
たぶん半分は作り事と思うがケア-ハウスの仲間が家に出す手紙を書いてと言ってくる。
ここにいる人たちもいろんな家庭の事情があって話を聞いてやらなければならないという。
文章など書けないのが事実なのに、
役に立ってる存在をうそでも話すことで生きがいの柱になっているのだろう。

現在の社会では働いたらストレスがたまり、
遊ばないと心が健康にならないと働くことと遊ぶことを分離して考えるのが定説化され、
それを煽るかのように世の中にはお金と時間を出せば欲望を満たすものが一杯ある。

私は働く中にもストレス(緊張)と喜び(緩和)があり、
生きがいも生まれ、ストレスを自然に調和させるように宇宙の意志が働いてると感じる。
だから仕事が毎日働き続けられる訳だ。

自分の仕事や人生の目標や目的を持つのは自分だ。
決して他人が与えられない。
ややもすると「結果の健康」が欲しくサプリメントや筋トレに走ることが健康つくりと勘違いする。
本当の健康は目標を明確に決意し努力する燃え上がる情熱という「原因の心」を持つことだ。

健康は「働く」ことで他人の役に立つ自分の決意から生まれと確信する。
もちろん物理的な栄養のバランスや筋肉強化、有酸素運動のバランスも同時に必要だ。

みなさんは健康どう創っておられますか?
 

2011年11月11日

「素直」で『嘘をつかない』は智慧の元

私が小学生のころですから45年ぐらい前の話だ。
そのころは夏休みになるとおばあちゃんの家に泊まりにいっていた。

ある時近所の友達が遊ぼうといってきてあわてていて、
おばあちゃんの下駄を履いていって、コマ回しやかくれんぼをして遊んでいた。
何度と飛んだり、はねたりしていたら、下駄が真っ二つに折れた。

困ったことだ。
私は下駄を玄関にわれたところを合わせて知らん顔して置いておいた。
たぶん次の日はおばあちゃんに怒られると覚悟はしていたが、
下駄は玄関になく、おばあちゃんも何も言わない、次の日もだ。

それから5年ぐらいしておばあちゃんは亡くなった。
なぜ素直に謝らなかったか、他人がやったように工作した嘘の行動があった。
今でも後悔してる。

さて、仏教は『智慧』の教えだといわれる。
智慧=具体的に問題解決する方法が考えられうまく解決するものだ。
知識だけでは知ってるだけでテストの点数は取れるが実生活や研究には役に立たない。

この智慧がでるために本能のままの自分では出ない、
『素直』と『嘘をつかない』修行があるのだ。

1)誰にも負けない努力がいる。
当面する仕事や人生に真剣に向き合い発展や解決をさせたいという
「強い思い」と「行動」が大事だ。
2)「素直」と「嘘をつかない、他人のせいにしない行動」
仏教では世の中に極楽が在り探すのでなく、
自分の心を極楽で埋めると周りがみんな極楽になると教える。
その基本は『素直』な心で、「自分に嘘をつかない」ことだ。

『嘘は泥棒の始まり』という格言があるように、
自分を守ろうとして、あるいは自分の思いを他人に押し付けようと「嘘」をつくが、
これでは真実が曇ってしまい智慧はでない。
言い訳と自己正当化する屁理屈の悪智慧が出るだけだ。

ダルマ禅師から六代目の慧能禅師は、
『人間本来無一物、無一物なればこそ無尽蔵』
人間は元来『素直』で真っ白な心と身に何もまとわない裸で物に執着しないなら、
そこにはすべての外界のものが取り入れられ無尽蔵に得ることができ、
尽きることがない極楽が実現されると教える。

だが、なかなかこの『素直』と『物欲』から離れられず、屁理屈で固めた自分がいる。
『素直』で『嘘つかない』人の頭上しか智慧が降ってこないようだ。

みなさんは智慧が降って来てますか?


2011年11月10日

天の時〔易経〕

中国の「易経」に良くでてくるのが天の時だ。
解りやすく言うと『春夏秋冬』のことである。

文言伝に、
『天に立ちて違わず、天に後れて天の時を奉ず。
 しかるをいわんや人においてをや。』

意味=私心なく物事を観察するならば、時の兆しを観て、
   先に立って行動しても、天の時とピッタリ順応する。
   また時に遅れても天の理に従えば、道に外れない。
   天の時さえ違わないならば、人は言うまでもなくその行いに従う。

ところが、私のような欲や私情の多い人間は物事の順序、情理を見失いがちになる。
そんなときこそ、無理やり行動しないで、『機』を考える判断する必要がある。
冬に種まくことは誰もしないが、私情や欲が絡むと判断を狂わせ種をまくことになり、
物事が成就しない。自分を天の時にあわせて変えることだ。

食べ物には旬の時期がるが、現代は水耕栽培や時期をずらす温室栽培などによって、
旬の食べ物がわからなくなってきてるのも事実だ。

人間は「自然の分身」=自分。
というように、人類は700万年前から現代に進化したと考えられてるが、
自然と一体に生きてきた時のほうが長く、
不夜城のように光を作り、飛行機のように早い移動も可能にし、
いつでも全世界の食べ物が食べれるようになったのは便利を追求してきた。

私は現代人の肉体がそのスピードについて行けてるか疑問だ。

自分の身体に聞いて『天の時』を感じ、
日常生活のリズムを作らないと身体を壊し病気になる。

自分の体と社会のリズムの調和のバランス取ることが重要で必要だ。
情報化社会のスピードの現代こそ、温故知新で『易経』に学び、
人間にとって幸福なライフスタイルを再考しホントの智慧を引き出すチャンスに違いない。

実りの秋、みなさんは旬の食べ物味わってますか?幸福ですか?

2011年11月09日

世間は神のごときもの

この言葉は松下幸之助さんの一日一言に書いてある。

「事業が大きくなってくると、仕事もだんだん複雑になって、
そこにいろいろな問題が起ってくる。
私は、この問題をどう考え、どう解釈すべきかと日々の必要性に迫られて、
その解決の根本を求めていくうちに
『世間は神の如きもの、自分のしたことが当を得ていると、
 世間は必ずこれを受け入れてくれるに違いない』
と言う考えに行きついた。
正しい仕事をしていれば悩みは起らない。
悩みがあれば自分のやり方を変えればよい。
世間の見方が正しい、だからこの正しい世間とともに、
懸命に仕事をしていこう・・・・・・こう考えてるのである。」

先日、のどが渇いていたので水汲み場でコップに入れては立ち飲みしていたら、
聞き取りにくかったのだが、子供が『座って飲みなさい』と注意してくるのだ。
母がいつも「行儀が悪いから座って飲みなさい」といっていたこととだぶって、
身が引き締まる気がした。
お母さんがその子供を躾けているんだと感心したり恥ずかしかったりだった。

その後電車に乗って座席についたら、向かいの女性が化粧をしてるではないか?
みんな知らん顔しているだけだ。
「女性として、恥じらいがないのですか」と私の母なら言っただろう。

世間が神さんでなくなってきて、悪い意味で世間を無視し気にしない世の中になった。
アメリカ流のファーストフードは立って食べるし、歩いて食べる。
昔の母なら「おうちに帰って食べなさい行儀悪いでしょう」と、
電車の中や駅構内では食べさせてくれなかった。

自由を求めることは問題ないが、他人の自由も尊重する礼儀が必要だ。
周りの人に不愉快な気持ちにさせない心遣いだ。

日本には茶道という文化がある。
お客を招いてお茶を出すのに、亭主は正客を初めお越しになった御客さんに、
季節の花、お客に会った茶器をだし、もてなしの心で迎える。
心遣いを間違うと見栄を張る競争になるがこれは下品ということだ。

私にそんな資格があるかと問われたら「ない」と答えるが、
品格を身につけたいとは思ってる。
世間を神のごときものと考え、形だけの作法でなく、
心が素直で人を不快にさせない美しい作法になるまで自分を変えて行きたい!!

みなさんにとって世間は神のごときものですか?自由の阻害要因ですか?

2011年11月08日

出家の原因

先日あるコラムに、お釈迦さんの「出家の原因」は『恐怖心』だと飯塚毅さんは
断言されていた。
オックスフォード大学のウッドワード教授の『仏陀の語録』に書かれていて、
2500年前の阿含経の中に、釈尊が心中の恐怖感から脱却を命かけで探求すべき
問題として、心を正面に据えたのだそうだ。

般若心経に『心に罣礙〔けげ〕なければ恐怖あること無し』と表現されてる。
真の幸福は五官〔目、耳、鼻、舌、肌)で身体を楽しませることでもなく、
逆に身体に苦しみを与え五官を楽しませないようにすることでもない。
恐怖心から脱却して「心が平安になる」ことだと言われる。

簡単に考えれば、何も難しいことではない。
腹が減ったら空腹になり、何か食べたいと思うのが普通だ、
まして何日も食べてなければ食べることばかり考え、
他のことが考えられないぐらい執着し苦しくなる。
逆に、お腹が食べ過ぎていっぱいになれば満腹で苦しくなる。

御釈迦さんは、「二つの極行を避けなさい」と言っただけだ。
それが『中道』だ。
誰しも90%は出来てるし、出来なければ社会生活が出来ない。
ところが、これを持続的に100%実行できないのが私のような凡夫の人間だ。

人間には『感覚』があるから、
どうしても自分の感覚に頼って判断するように出来てる。
その第一の判断は生命を維持したいと言う本能と欲望を100%満たしたいと言う利己心だ。
これを信じて行動すると集団の中での社会生活は出来ない。

『中道』を体得する努力がいる.

社会では人間を人間にするのは人間の中でもまれるしかない、
心が不安にならないように人間と関わらないで傍観者の立場で生きることができないのが現実だ。
人間である以上、喜怒哀楽の世の中で生きざるを得ないが、
喜怒哀楽の主人になれば良いだけのことだ。

御釈迦さんは『恐怖心の元』を突き止められ、
『八正道』と言う対処のやり方を語られただけだ。
後は自分で実行し楽しい社会生活を送り幸福を手にすることだ。

逆説的に『社会人として落第する四つの原理』を下に記す。

第一の原理=徹底して自己中心的である
第二の原理=徹底して守銭奴である
第三の原理=徹底して骨を惜しむこと
第四の原理=他人や周りを気にしない

恐怖心と不安が押し寄せて自分を苦しめることになること間違い無し。

みなさんは出家の原因どう思いますか?