社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

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2017年09月03日

新しい光をともす努力が未来を開く(暗闇に上書きをする)

人生を長く生きていると、いいことばかりでなく嫌な事もある。
出会いたくないこともある。
その嫌なことはなかったことにしたくなる。

過去を消そうとして100%上手いこといった人生にしようと、消す事に着眼したら最後、
ますます嫌な記憶が頭の中で増幅する。
増幅するだけでなく、記憶を思えば思うほど現実もそのような因縁を引っ張り、
具体的に起こる。

こんな体験なさった事ありませんか?
また、遠足の前の日に楽しすぎて興奮して寝られない。
でも明日楽しみたいから早く寝ようと、
寝具の中で「寝よう」「寝よう」と言い聞かすが、
ますます、興奮して寝れなかった記憶ありませんか?

これと同じですね。
人間の利己心(本能)は自分を守るため、
嫌な事を思えば思うほど記憶が鮮明になり、無くなりません。
だから寝ることに執着すればするほど寝られない。

禅では「今を生きる」」「今に集中する」ことで、
この過去も意識せず末来も意識しない状態で「今」に集中する事で解決せよと諭す。

ただ坐って、頭に考えをめぐらさず、忘れる事を体得させる。(他人の事考えても仕方ない)
さて、もう一つの解決方法は新しいことを始め、過去の嫌な記憶に上書きする方法がある。

唐の時代、徳山が教えを乞うために、竜潭禅師を訪ねた。
話しこんでいると夜が更けて、「あなたはもう帰りなさい」といって、
竜潭禅師は紙燭(こよりを芯に油を浸す灯火の道具)を取り出した。

徳山が紙燭を取ろうと近づくと、竜潭禅師がフッと火を消した。
途端に真っ暗になった。
暗闇に明かりをともせば暗闇はなくなり、灯りを消せば暗闇が訪れる。
それを竜潭禅師は目の前で見せた。
徳山は悟りに至った。

明るくなったと思ったのは,紙燭の明かりであり、外は真っ暗なまま。
つまり「明るい」「暗い」はその人の心次第だと!!
もし暗い過去や嫌なことを取り除きたければ、
新しい光をともす行動をして、過去の上に「上書きする」
暗闇を取り除こうと努力しても新しい未来は開けないことを諭した。
「過去と他人は変えられない、自分と末来は変えられる」
ところが普通の人間は暗闇に執着し消そうと努力して苦しんでいる事が解らない。
新しい光をともす一歩出る行動が明るい未来をつくる。(成長する行動する事だ)

さて、遠足のときの答えはどうなのかと思われるでしょう?
これは簡単です。
興奮してる神経に「一日寝なくても死にはしない」と自分に言い聞かすと、
緊張感が取れてスッと寝れるのである。

サミエルウルマンではないが、「希望と共に若く、絶望とともに老いる」
人間は「今」に全力「末来は何とかなる」で不安を寄せ付けない事だ。

皆さんは暗闇なくそうとしてませんか、上書きして新しい一歩で行動してますか?

2017年08月31日

二宮尊徳、プラトン、ドラッカー

この三者は私の好きな人物だ。
二宮尊徳は「道徳なき経済は罪悪、経済なき道徳はたわごと」
プラトンは「論理の裏付けのない経験はおしゃべり、
経験の裏付けのない論理は屁理屈」
ドラッカーは「大きくなる事に意味はない、
良い企業になることが正しい目標だ」
「科学と芸術の両方を身につけるのがマネージメントだ」

この三者の人物の共通するのは「現実」を生き抜く、「現実」を離れて論理もない。

単なる論理だけでもない。
芸術という味付けをしてこそ、無機質から有機質に変わるというのだ。
絵画や音楽のように!

尊徳は江戸時代600ヶ村の財政を立て直した。
ドラッカーはGE(ゼネラルエレクトリックのウエルチ社長に助言)し立て直した。
トヨタもQC活動や改善運動を展開し、素晴しくよい企業となった。

企業の目的は金儲けでなく、社会貢献だという。
お金は企業活動を循環するための燃料だと言い切る。
そのためには現実に足置いて需要を創造をすることだという。

すべてを決定するのは「成果」であるという。
「成果」を出すには現実の顕在する需要をしっかり掴み、事実を知ることをマーケティングと
言い、時代に半歩先んじて新しい技術や仕組みの革新し時代を創る。
具体的には企業としては需要を創ることをイノベーションという。

企業は商品とサービスを具体的に提供して需要を創る。
企業のマネージメントは究極は働く人の人間のセルフマネージメントである。
利益を出せる人間になることでなく、よりよい人間として成長し続けることだ。

よりよい人間とは技術(現実に役立つ能力)と人間力(徳・美学)を身につけた人のことだ。
よりよい人間が働くからよりよい企業ができる。(逆もまた真だ)

洋の東西を問わず、人間はお金持ちになることが目的ではなく、
よりよい人間として成長し続けることが生きがいを作り、幸福なのだ。

皆さんは三者の言葉に何を感じますか?

2017年08月27日

老いてゆく

認知症の人がいるグループホームでお世話になった母が亡くなったのは10月27日だ。
もうすぐ二年になるので三回忌の法要を10月14日にすることにした。
人が老いるというのは幼児のように返ることだと思う。

幼いころは、洋服を創ったり、着物の仕立ても頼まれるほどに何でもできた人だった。
ところが、身についた技術や伯母から育てられた礼儀作法や努力して学んだ学問や一芸、
強靭だった肉体もすべてのものがはがれるように、
頭や肉体から離れていき、物心つく前の幼児になって行った。

息子である私を見て「お父さん」というのである。
老いるということは別れる、剥がれるといってもいい。
「習慣が第二の天性」といわれるのは剥がれないように、
身体や頭から離れないように習慣化する努力がいる。

一方人間の思考には三つ良いことがある。

1.体験を多く積み現実の問題に向き合って解決の引き出しが多くある
2.練れる(いろんな角度から柔軟にモノを練る、固定化しないで多面的に見る)
3.考える。(深く物事を考え、完成に近づいていく解決を導き出す)

さて、努力には二つの意味がある。

1.身体も頭も学び体験した事が老いないよう繰り返し鍛錬する努力
2.人間の苦しみの根源は「我が心中にあり」で、
己が変わること(現実に心をあわす)によって喜びに変える努力。

運命は変わる。
運命に埋没して流されるのも生き方だが、
与えられた運命を変える努力を「立命」という。
命には生まれた国や時代によってどうも変えれないものがある。
これを「宿命」という。

しかし運命は「因果の法則」の数(努力)に従って変化している。
この法則がわかれば、自主性、創造性が高まり、法則に支配されないで生かすことができる。

具体的な例が「ニュートンの万有引力法則」を生かして科学的に応用されている事と同じだ。
それには「努力」がいる。

1.良きことを考え良きことを行動する(利他行)
2.最後まで諦めないでやり通す。
3.死ぬまで体験し学び続ける。

禅ではこれを「己事究明」と言って、自分の能力、性質が見えてくるまで学問修養するのである。
学問修養しなければ宿命(動物的・機械的)になり、運命の法則に流されてしまう。
逆に運命を開くには学問修養の努力がいる。

道元が宗に渡って如浄禅師に問いかけたのは「なぜ仏性があるのに修行するか?」であった。
人間はいくら学問修養しても老いていく存在であるということだ。
毎日、頭と身体に繰り返し教え込まないと老いていくのである。
言い換えれば、考えられなくなり具体的にできなくなり幼児に返ってしまうのだ。

道元は「身心脱落」という言葉に悟りを開くのである。
それは運命を変え、自主創造し、三つの努力を積み重ねることに気付いたのである。
禅を伝えるという天命に目覚めたのだ。

私にも志がある。
供養の心を石材に託し、世界中が「和を以って貴し」をシンクロする平和な世界の実現だ。
志は大風呂織だが、まずは足元をしっかりすることから始める。

皆さんは老いていく現実如何おもいますか?

2017年08月21日

親の願い

森信三先生が昭和42年に中学校で講演された記録を読んだ。

中学生に問いかける。
「親は二つの願いを子供に託す」皆さんはわかりますか?

1.まともな人間になってほしい。ぐれたり、非行少年少女になってほしくないのが願いですね。
2.お金の心配ですね、ちゃんと仕事して生活が自立できるかという願いですね。

つまり、この二つが親の願ってる事だと理解する事が「立志」という。
だから、どんな仕事で生計を立てるかが大事なことなんですね。

先生はさらに「立志」は言い換えると甘えた心を切り捨てることと言い切られている。
幸福についても解りやすく語られてる。

幸福は願えば逃げていくというのである。
むしろ、自分の幸福を求めすぎると実現しない。
真の幸福は人を幸せにする事によってのみ得られる。
自分を犠牲にして先に人のことをすることだ。

これを実現させるのに何をすればよいかというと二つあると断言される。

1.いったん決心したことは必ずやり遂げる。(絶対やりぬく)
2.人に対して親切にしてあげる。

キリストは世界平和とか人類の幸福なんて言ってない。
ただ「隣人を愛せよ」だ。
これ貫き通すのは現実の人もわが身に起こる事実を100%肯定的に受け入れることだ。

森先生の学問観は二宮尊徳の夜話にある、
「音もなく香もなく常に天地は書かざる経を繰り返しつつ」
究極は真理は各々がぶつかる現実との格闘において、
体認、自証せられるべきであって読書は。、参考資料に過ぎない。

自分に与えられた現実的条件は神が与えた試練であると説かれるのである。

こう突きつけられると、自らの心の甘えと戦わざるを得ない。
先生は余暇の時間は要らない寝る時間が余暇だと言い切られ、
人生二度なしといわれ、時間を一瞬たりとも無駄にされないのである。

私の恩師小田切も、真理を探求する学者は365日研鑽するとおっしゃられていた。
実に森先生も小田切先生も甘えを断ち切られていると感服する次第だ。
私は親の願いと、人生の師としての親としての両人の願いにただ感謝するだけだ。

まずは、会社の経営をまともにすることを望んでおられるので実践する。

皆さんは「親の願い」聞き届けておられますか?

2017年08月20日

人本主義経済

政治は選挙によって選ばれなければならない。
そうすると一票を持ってる有権者によく思われたいのが政治家人情だ。
これをポピュリズム(大衆迎合主義)という。
有権者に耳障りのいいこといえばいいのである。

国民のため、弱者のため福祉を充実する。
現実は弱者保護でなく、弱者を生み出してるのではないかと感じる制度を創っているように感じる。
勿論、弱者保護は当然されるべきであるが、健常者に保護では致し方ない。

世界的に政治は資本主義や共産主義というイデオロギーを超えた新しい哲学が要望されていると思う。
イギリスのEU脱退、アメリカの「アメリカンファースト」、日本の「都民ファースト」というのは、
国民主権を意味するのだろうか疑問だ。

一方経済も同じ土俵である。経営(資本)と労働(共産)という構図が壊れているにもかかわらず、未だに対立軸を基本とした行政であったり経営が為されている。

先日、ドラッカーを改めて学ぶ機会があった。
彼はGMの委託を受け従業員全員に調査をした。
調査の方法は「私の仕事と私がそれを気に入ってる理由」という作文コンテストだ。
調査の結果わかったことは「従業員がほしがってるのは金だけ」という通説は思い込みで、
従業員が求めるものは「会社や製品と一体感、仕事の責任である」ことがわかった。

だからQCサークルや職場の改善運動に参加しようとする。
ところがGMは採用しなかったので2009年民事再生法の申請になった。
しかし、トヨタがドラッカーの意見を取り入れQC活動、なぜなぜを5回繰り返せという改善運動を展開し成功を修めた。
組織は利益が目的だというのが経済学の定説ですが、ドラッカーは「社会貢献」であるというのである。
資本主義社会という枠を越えて、人本主義であると私は考えている。
彼は「責任ある労働者」こそがこれからの情報化社会での知識労働者であるといっているのだ。

さらに「組織はすべての人と社会をより良いものにするために存在する。」
まさに仕事を通じてよりよい人間と社会をつくることができるというのである。
具体的には「顧客創造」と言って、マーケティング(顕在顧客要望)、イノベーション(潜在顧客要望)をみぬき、常に組織自ら自己変革をすることだというのである。
ドラカーに学んだ企業はオムロン、トヨタ、京セラ、NEC、パナソニック、ソニーといった企業だ。

皆さんは資本主義ですか人本主義ですか?