社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

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2017年11月28日

「あるがまま」とは

孔子は「仁」とは克己復礼と言って、具体的には礼を重んじる行動をする事だと教える。
その礼の基本は「親孝行」で、親に100%礼を尽くせるかである。

我々凡人は育ててくれたと尊敬はするが、
何があっても親に礼を尽くす事ができるかといえばできていない。
親も人間だから、どうしても親に理想を尺度に批判する気持ちが芽生え100%礼を尽くせない。

荘子の天運篇には、
「敬を持って孝するは易く、愛を持って考するは難し、 
愛を持って孝するは易く、親を忘るるは難し。」

意味=尊敬の念を持って親孝行するのは優しいが、
真心を持って孝行するのは難しい、
それでも、真心があれば孝行するのは優しいが、
親の存在を忘れる境地に達することはむつかしい。」

この親を忘れる境地とはどんなことかを荘子は商の国の宰相・蕩が「仁」について尋ねた答えがある。
1.人の心は人間だけのものでない、虎や狼も持っている
2.親の存在を忘れる境地に達するのは難しい、それでも親を忘れることはまだ易しい。
3.親に自分の存在を忘れさせることは、さらに難しい。親に自分の存在を忘れさせることはまだ易しい。
4.広く天下の存在を忘れさせることは難しい、広く天下の存在を忘れさせることはまだ易しい
5.天下の人々に自分の存在を忘れさせることは難しい、
このように次第に次元をあげてきて、結論を言うのである。

「至仁」という最高の徳に達するというのは、堯舜(中国の伝説的理想的帝王)の事すら忘れ、
真似事もしない.あくまで万民に恵みを与えながら、その恩沢があまりにも大きいために、
堯舜がやってくれてることを忘れている。ここまで来れば、「仁」とか「孝」もなくなる。
これが「あるがまま」無為自然ということだ。
ここまでの境地に達すると「仏」も「神」もないが「仏」と「神」になってるといっても良いぐらい自由自在を得るのである。

古人は「真に尊い道を備えた人は、君主という身分にも爵位も捨ててこだわらず、
どんな富にも勝る道を心得た人は、財産も捨ててこだわらず、
何にも増して望ましい道を心得てる人は、名誉も人気なども見捨ててこだわらない。」

「あるがまま」はなにも考えないで、ボーっと受身になることでもなく、
他人を救うといって意識することでもなく、具体的に万民を豊かにし、
自らの欲望をはるかに乗り越え、その存在すら消して他者に社会に役立つ具体的な行動する人だ。
臨済禅師は「釈迦もダルマも知らん」と偶像を作るなと言い放すのに通じる。

まだまだ、執着心にとらわれる自分がいるから、きっと一歩づつ未来の自分を発見する気がする。

皆さんは「ありのまま」どうおもいますか?

2017年11月24日

哲学の時代

経済の大原則は再生産する事だ。
それには「利益」がいる。
イギリスの産業革命が1700年中ごろから始まり、
蒸気機関という動力を得、仕事の分業化が進み生産力が上がる。

世界の経済は物理学を基礎に自然観察と理性によって技術を生み出した。
この技術がどんどん進歩して、便利で使用価値があるモノ・サービスが提供されている。

更なる進歩のために「AI](人工頭脳ロボット)「IoT](モノのインターネット化)が進み、
先進国では移民により発展してるところもあるが、テロのイスラム国に悩まされている。

一方、日本のように少子高齢化で人口減が経済規模をちじめているのも事実だ。
日本の政府は「働き方改革」を旗印に最低賃金の引き上げや労働時間の短縮を促進している。
モノやサービスはシェアーエコノミー化してき、生活形態の変化は所有より使用重視になっている。
すでに、ハウステンボスではロボットの受付がコストダウンに使われ、夜勤の勤務を減らす。

また、一定の決まった行政書士や会計士といったルールに乗っ取った仕事もロボットが行うのは、4~5年先には実現することは間違いない。
犬や猫を飼う独身世帯もロボットと暮らし会話する時代になるだろう。

働き方が「ライフワークバランス」の時代でなく「ライフワークミックス」の時代となり、
個人がもっと自由に時間を使い、働き方を変えることは間違いない。

会社に出社せず、仕事をコンピューターで処理しメールで送る。
仕事の合間に時間が空けば、美術館に足を運び、テニスをする。
そして汗を流したら、また仕事をするようになるだろう。

そんな社会で人間がロボットにできない仕事をする必要がでてくる。
自然観察と理性といった法則性を生かす働き方でなく、
感性と思考力(創造力)といった独創性を生み出す働きが尊ばれるようになろう。

自分で考える「哲学」の時代がやってくる。
あらゆる法則はある範囲で通用することは間違いない。
しかし、そうではなく、ニュートンがりんごが落ちたのを感じる直観力のような独創が尊ばれる。
それは、根本的に「自然とは」「人間とは」「命とは」「社会とは」「生きるとは」「神とは」、
という問いかけをし自問自答する中で熟成される。

言い換えると個々人が「考える」眼に見えない柱を作ることだともいえる。
人間の身体で言えば「背骨」の事かもしれない。

ロボットにはできないことだし、あらゆる学問の壁を超えて学び体験する必要がある。
これには正解はない。
まず、そのように思うことだ。

皆さんは哲学の時代がやってくると思いますか?

2017年11月23日

愛とは他者を幸せにするという意志

女性が好きな人は「優しい人」だ。強い人でも賢い人でもない。

優しくないという定義は自己中心的で利己的な人物を言うのであろう。
言いかえると精神が熟してる「大人」な人を優しい人と表現してるのだろう。

もう一歩突っ込むと、その愛が自分だけに注がれる事を望む。
こうなれば実に窮屈さを感じる狭い意味の愛となり、嫉妬が生まれる事になる。

仏教では「渇愛」と言って、愛は利己的で執着する面があると否定的だ。
愛するが執着しないでいつでも捨てれる事を良しとする。
「とらわれない心」「かたよらない心」を目指すのである。

また「他者」とは特定の「他者」という狭い意味ではない。
自分以外すべてである。
仏教的には「布施」という。
他者の幸せのために行動することを利他行という。
利他行には私心のない自分の立場を創るが、他者を幸せにする意志はある。
矛盾するようだが、矛盾しない。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」という言葉があるように。
結果的に自己救済がされ自分に益がある。

欲(煩悩)に振り回されない自分を自覚する事になるからである。
決して他者だけが益するのではない。

これを「自利利他」と表現する。
欲(煩悩)が具わってるからこそ人間は「成仏」する。
「煩悩即涅槃」と諭す。

朝起きたら、自分、自分は今日何をしたらと無意識に考え、
どうしたら自分が幸せになるかを目指す。
決して、他者をどうしたら幸せになるかという意志を持って、
考え行動するのが一番に行動するとはでてこないのが事実だ

我が子には、無意識にどうしたら幸せになるか考え行動するように、
人間の遺伝子には仕組まれている。

我が子のように他者を幸せにする意志を持つことはそう難しくはない。
そうしたいと「思い」を強く強く持つことが重要だ。

皆さんは「愛」についてどういう意味を持っておられますか?

2017年11月22日

「ダーウインの進化論」を考える

ダーウインは(1809から1882年)イギリスの人である。

キリスト教では生物や人間は神が造ったもので「進化」ではないという常識が19世紀にはあった。
おじいさんも「進化論」的なことをいっていたという環境で育ったダーウインは、
エジンバラ大学で医学を学び、ケンブリッジ大学で神学を学んでいる。
彼はガラパゴスで生態観察をして確信をえ「種の起源」(日本語)と訳された本を出版する。

この本は慌てて書かれた。
それはアルフレッド・ラッセル・ウオレスという博物学、生物学、地理学の人物が、
アマゾンとインドネシアにいって、同じような発見をしてダーウインに話した。
そこで、急遽あまり有名ではない彼と共著で「進化論」を出し、その後「種の起源」を要約だけ書くのだ。

さて、歴史的な背景は良いとして、
ダーウインの「進化」とは進歩する事でなく「変化」することを意味する。
自然淘汰というのは何か争って生き延びたというものでなく、
自然選択(Natural selection)自然に選択されて生き残ったとい意味だ。

一般に「生存競争」という表現をされるが、これは弱肉強食を正当化し、
人種差別や強者の論理で優性遺伝子だけを尊び、
劣性遺伝子を抹殺する論理に飛躍したのがドイツのナチスだ。

その彼の説を簡潔に書くと、
1.変異=生物の個体は同じであってもさまざまな変異が見られる。
2.遺伝=変異の中で親から子に伝えるっものがある。
3.選択=変異の違いには自信の生存確率や次世代に残せる子孫の数に差を与えるものがある。

この1.2.3.のメカニズムが自然環境に適した性質の固体のみが選択される。
(自然が主体である。)
言い換えると自然環境に対して「最適者生存」ということである。

マルサスの「人口論」も見つめて考えていたダーウインだったが、
爆発的な人口増加の現代にすべてが当てはまるかといえば一部疑問もある。
それは進化の過程の化石がでていないという事だ。

そこで、1983年に自然学を提唱する今西錦司さんは「棲み分け理論」を提唱し、
非科学的だが生き残ってる生物はたまたま「運が良い」と表現し、
自然には「抱擁の構造」が仕組まれていると主張する。

「種の固体」でなく「種の社会」であり、自然は全部つながっていると考え、
文明生態史観を提唱してる。

ダーウインの時代のように自然がそのまま固体に反映される時代と、
現代のように社会という複雑な構造と人口増を体験した遺伝子は、
純粋な変異という物質的だけでとらえるのでなく、
競争しないように生きようとする棲み分けをして、
うまく調和してると考えるのが今西錦司だ。

具体的にはヤマメは下流に住み、イワナは上流に住むようにというのである。
東洋的な発想で、宇宙は常に調和へ向かっているという立場で解釈するのである。
一つの理論ですべてが説明できる事の方がおかしいのではないでしょうか?

皆さんは進化についてどう考えられますか?

2017年11月19日

読書の秋

座右の銘というのがどんな人物にもある。
私は「自他不二」を体得し「天人合一」「「知行合一」をモットーにしている。

怠け者で愚かな私には「夢のまた夢」を見てるようで実現できてないことは間違いない。

メンタルトレイニングの西田文郎さんは、逆説的な表現で、
「不幸の三定義」
1.決して素直に「有難う」といわない人
2.「ありがとう」と言っても、恩返ししない人
3.「ありがとう」と唱えただけで恩返しができたと思ってるいる人

この人は心から素直に感謝し、
さらに、その恩を具体的に返す事で三倍も四倍も努力し恩返しされたのだろう。

それには情熱と誰にも負けない努力と不屈の精神力(心)がいるに違いない。
元京都大学総長の、平澤 興先生は、
「秋の空は高く澄みきり
夜には無数の星が見える
秋の夜の夢は
大きく高いほどよい
問題は夢に負けない努力だ。
あくまで燃え続けることだ。」

行動あるのみであるが、行動にも二つある。
1.具体的に行動する現場で日常の課題を解決する
(只管打座とただ坐禅することで空の心を養う)
2.具体的現実を推理し創造し日常の課題を解決する。
(読書や他人の話しを素直に聞き自らの心の幅と奥行きを広げ、かたよらない、こだわらない心を養う)

森信三先生は、
「読書は心の食物
肉体を養うため
毎日の食事が欠かせないように
心を豊かに養う滋養分として読書は欠かせない」

吉田松陰はもっと過激だ。
「万巻の書を読むに非らざるよりは、
寧んぞ千秋の人たるを得ん」
意味=たくさん書物を読破するのでなければ、
どうして長い年月にわたって名を残す、
不朽の人となることができるだろうか。できはしない。

ラグビー会の平尾誠二は、
「人間の力は
全部出し切らないと増えない
出し切らずに溜めたら、逆に減るのです。」

「人生二度なし」という覚悟で楽しむ事がよさそうだ。

皆さんは読書の秋どう過ごされてますか?