社長ブログ

大阪石材株式会社 伯井です。

2010年09月02日

夢と希望と挫折・強がり・バカ息子からおかんへ

     「夢と希望と挫折」
『生きていくために 夢を見る
 どんなに小さくても
 夢は 希望を与えてくれる

 ただ
 覚えておかなければならないことは
 夢は 大きければ大きいほど
 叶わなかった時
 大きな挫折をするということ

 大切なのは
 希望も挫折も 受け入れること
 それこそが生きる意味
 それこそが ぼくのスタートライン』

     「強がり」

 『わたしは時に 強がって生きてしまう
  本当は ものすごく辛くて苦しいのに・・・
  本当は 周りの人たちに甘えたいのに・・・
  だけど何より一番怖いには 周りの人たちに流されて
  自分自身を追い込んでしまうこと
  そして悲しいのは 後戻りできなくなるということ
  だから そうなる前に
  自分自身の弱さを認めて生きて行きたい』 

これは奈良少年刑務所の受刑者の詩である。
ほんとに人間の心の奥には良心がある、魂があると感じざるをえない。
しかし、魂は磨かなければ損得の本能や好き嫌いの感情に負ける。
自分の勝手な価値の善悪にも!!
何が正しいかを小さい時から躾けられないと!

故高田好胤さんがこの刑務所にお話しに行かれた時、
いつも話されるのは二つだ。
1)ここは病院だ。
 だから病気治ったら(刑期満了)2度ときたらあかんで!!
2)君たち病気にしたのは大人が悪い、だから代表として、誤りに来た『ごめんな』
そして、受刑者に向かって、「仏壇とお墓あるか?」と手を上げさせた。
100%なかった。
刑務所長に「戻ってくるのは何人?」と聞いたら、約60%だそうだ。

   『バカ息子からおかんへ』
「恩返しなんて おれにはできひん
 もらったもんが 大きすぎるから
 恩返しなんて おれにはできひん
 でも
 悲しませることは もうせいへん
 もうせいへんよ おかん」

何が正しいか?
決して難しい事ではない。
それはシンプルで、『欲張らない』『騙さない』『嘘言わない』『正直・素直』
母はいつもこのように諭して身体に叩き込んだ。
時々、「母も嘘ツイてるのに」と思ったこともあるが、
母親に感謝だ。

みなさんはこの詩如何考えられますか?

2010年08月30日

天上天下唯我独尊について

御釈迦さんは『天上天下唯我独尊』
釈尊が生まれて七歩あゆみ、右手を持って天を指し、
左手は地を指し、語った言葉と言われてる。

伊藤仁斎の解釈=釈尊は天下と共のその善を同じくすることを欲し、
        天下を離れて一人その身を善とすることを欲しない。
        衆生と共にであるということ。人間世界の中で!!

でも独尊であるというのはすべてのことは自主的に主体として存在そのものは尊い。
縁には感謝ですが依存はしないという主張だ。
これはほんとに言ったとか言わないということよりも人間の存在だ。

だからこそ『孝』が大事である。
『孝』のうちでも大事なのは『親孝行』である。
中江藤樹は父親が雷が嫌いだったので、夏の雷がなった日には、
庭にあった父の眠る墓石に自分の羽織をかけたという逸話が残ってる。

さて、親孝行にも「上、中、下」があると古来中国ではいったそうだ。
1、下の親孝行=親を尊敬して所帯は別に暮らす(金銭的関係がない)。
2、中の親孝行=親を引き取り生活の面倒を見る。
       (尊敬してやまないといことでないが具体的に生活の面倒見る)
3、上の親孝行=親を引き取り生活の面倒を見て、親の恩に感謝し、
      親の言に従い逆らうことなく、尊敬した態度を取る。

親へ感謝し、恩に報い、尊敬の態度を取ることができる人こそが上の親孝行だが、
一般的には自分の価値観と対立する部分や、
親も人間だからすべてが正しいわけはないと否定し全面的にとは思えないのが普通だ。

今の私はどうかというと、父は亡くなり、母だけで89歳で認知症だから、
記憶はあいまいで、作り話もするが受け入れられる親孝行が出来るようになってきた。

森信三先生は『父母の恩の有無厚薄を問わず、父母ありというが即ち恩ありということなり』

自分の価値観や親も間違ってると理屈で親を見るんではない、
私という存在をつくってくれた「神さま」として考えろと教えられた。

感謝、感謝、感謝!!(よく忘れるのは愛敬!!)

皆さんは如何考えられますか?

2010年08月28日

共存共栄=愛情×自主経営

昭和39年(1964年)10月販売店会議で松下幸之助さんが語った。

『自主経営のない人は依存経営になります。
 それでは「共存共栄」になりません。助けられてするということはいつか破綻します。
 自主経営は相手から与えられるものではない。自主経営は自分でするものである。 
 その自主性があった時に、相手の力というものが生きて働く。
 それが「共存共栄」働くのだと思う。
 みんなが助け合っていくということは、みんなが実力を持つということです。
 実力をなくした人を助け合うというようなことではない。
 実力を持つようにお互い助け合う。これが私は「共存共栄」と思うのです。

 これがなくては世の中うまく行かないと思います。慈善事業であれば別ですが、
 そうでないのだから、みんながそれぞれ職責を全うして、
 自分の仕事をしていこうという場合にこそ、その実力の上に「共存共栄」の花が咲く、
 と私は思います。』
          松下幸之助

ここで松下さんが言いたいのは、自主経営でないと「共存共栄」はできない。
もたれ合いになり、依存する人と依存される人になる。

これは人間が平等で対等と言う考えだ。
ところが日本では親が子供の面倒を見る依存関係で育つ、
欧米のように、小さいころから、自立を促す対等性や責任感をもたせる教育はしない。

親は子供の面倒を見るのが当たり前である。
だからいつまでたっても依存のほうが楽だから責任を取らない。
言い換えたら自主的に自由を求めない、多少不自由でも無責任な立場を取る。
親子が愛情の依存関係で情緒的な関係になる。だから気を察する動きができる。

愛情という情緒的なところでは確かに日本のほうが深いが、
自立という面では欧米には叶わない。
いつまでたっても、失敗しないようにとか責任を取らされないような振る舞いをする。

景気の低迷な現代、たっぷり愛情で育った日本の風土を活かし、チームが一丸となって、
自分の仕事・人生を依存経営から自主経営に、
「愛情×自主経営」のハイブリッドな哲学観を樹立するチャンスな時期だ。

みなさんは松下幸之助さんの「共存共栄」の考え方如何考えますか?

2010年08月26日

ドラッカーの企業定義


『企業の目的としての有効な定義はひとつしかない、
 すなわち、顧客創造である』

   ピーター・ドラッカー
『企業とは何かを決めるのは顧客である。
 なぜなら顧客だけが、財やサービスに対する支払いの意思を持ち、
 経済資源を富に、モノを財貨に変えるからである。
 しかも顧客が価値を認め購入するものは、
 財やサービスそのものではない。
 財やサービスが提供するもの、すなわち効用である。』

先日のブログに書いた石田梅岩は、
『武士の録は主君に仕えることで、
 商人の利益は天下の人々(お客さん)である』
今で言う顧客満足(CS)を身分制度の強い封建社会で対等な人間関係を語っている。

歌舞伎役者も芸の見る目のあるお客さんが掛ける『成駒屋』などの掛け声が、
芸を一流にしていくキッカケとなり、お客さんに育てられるといいます。

芸人は芸を一流に磨くように、
『利益は企業が世の中に貢献した結果の報酬である』と考えたのは松下幸之助さんだ。
だから、具体的には、以下の三つを実行された。
1)商品の品質、性能においてどこよりも優れたものをつくる。
2)お客様にどこよりも優れたサービスを提供する。
3)どこのも負けないコスト力を持ち、
  お客様に喜んでいただける価格で商品を提供する。

1980年代はジャパンイズNo.1といわれたのは、
きめ細かい商品やサービスを改善工夫する技術力や接客力、仕組み力があったからだ。
リーマンショク後の低迷する経済の環境だからこそ、
誰のために仕事をし、働く意義と意味を原点回帰するチャンスとプラス発想したい。

みなさんは如何考えますか?

2010年08月25日

石門心学・『都鄙問答』(とひもんどう)

290年ぐらい前の江戸時代、京都に石田梅岩の商人道の問答形式の本だ。
都とは京都人で、鄙とは田舎人の問答の古典だ。

当時は「士農工商」といって商人の身分が一番低かったが、
流通が盛んに成り、大衆文化が発展するにつれ庶民も学問を学び始めた。

だが、町人の地位は低く、商売も未熟で騙しや、
権力を傘に来た押し付けがましい二枚舌の商人が横行しやすい環境であったことも一面ある。

当時は少し裕福な商家の人は子供に学問を習わせるようになってきたが、
必要か必要でないかが議論もされていた。
全部は紹介できないが、今でも充分通用する基本的なことをいくつかあげる。

1)利益肯定=利益は武士の録と同じだと言い放ち、
2)市場原理=政府が価格を決めてはいけない市場の取引に任すと発展する。
3)競争原理=倹約精神にはけちとか節約でなく、
       「積極的な意思と創造力」のある競争していい物やサービスをつくる。
4)誠心誠意=約束を守り誠実に努力し支払いのごまかしや無理な利益を取らない。

商人は『心』の尊重を第一義に考えることだと教える。
これは万古不変の原理であり、今も商人の基本とされる日本式経営だ。
ここ十数年は欧米式の経営手法がはやり、マニュアルだ、マーケッティングだ、
職能性を重視だ年功序列廃止などされたが基本は変わらないと考える。
さて、元に戻って石田梅岩の言う心について考えるヒントを紹介する。
梅岩の言う心=よりひろく全体的で関係性を含んで感謝の心を重んじる。
ハート=情緒的
マインド=知的な意味
ゼーレ(ドイツ語)=精神性にかたよる
ヘルツ(ドイツ語)=感情的

大阪では食堂を出るとき『ご馳走さん』といってお客が出る。
京都ではお客さんに感謝のお礼に『おおきに、またお越しやす』とお客に一礼する。
奉仕、感謝が商人の倫理観だが、
欧米は情緒的な要素より、『適法性』や『公正』が重点なのは、
日本のように均質な人の集まりでなく、
いろんな人種や国の非均質の人の集団だからだ。

古典に学ぶことは現代を考える手がかりだと再確認する。

皆さんは如何考えられますか?

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